阿呆カラスか・・・SMAPは?????・・・Copy

鬼平犯果帳に「阿呆カラス」と云うのが登場する・・・・公認の岡場所を避けて、道行く・助平男に、素人・女を持ちかける・・・勿論、上前を撥ねるのだが・・・御法度である。

SMAPは、さしずめ・・・「阿呆カラス」に奉仕する、「商売・女」の様なものだろう。彼等の価値を、中国共産党政府が、自分のものと見せかけて、中国人の「素人・国民」を篭絡する・・・「阿呆カラス」が、中国政府・・・と云うのが悲しい。

都会の、政治的ノンポリを称する若者がターゲットである。彼等は、ネット社会の主役でもある。彼等は、田舎に呻吟して暮らす、親戚や、友人たちに、そのコンサートに参加したことを吹聴するのだろう。そして、現政権の派手なパフォーマンスに加担する・・・自分達が、抑圧されていることを感じることなく。まさに、「茹で蛙」状態なのである。
その片棒を担ぐSMAPが、日中親善に貢献していると思っていることが悲しい。政権の片棒を担ぎながら、「売国奴的」行動をしていることに全く無関心なことである。「歌だけ歌っていればよいものを・・・」と、私は悲しくなる。つまり、戦中の、戦争画を描いた、画家の役割をSMAPが演じているのである。

マイクの前で、「尖閣列島は日本の固有の領土です・・・」と叫ぶのか、あるいは、「中国の領土です・・・」と、応援メッセージを送るのか・・・・市場は、日本の10倍である・・・・中国に媚を売れば、もう日本人でいる必要もないだろう。

芸だけをして、政治を語らねば良い・・・それが、芸人の本分だろう。アスリートが、政治を語らない様に、どんなに悪辣なルール違反に苦しめられても、「それだけの国民だ・・・」と、軽蔑はしても、じっと我慢に過ごす・・・・様は、「勝てばよい」のである。SMAPも、歌だけ歌っていればよい。下手なダンスも踊っていれば、それだけで良いのである。巡視船に漁船を、故意に衝突させて「日中親善」を口にする政治の同調する必要はないのである。
「提灯持ち」、「阿呆カラス」・・・SMAPが居なくても、悲しい思いの一つもしない「男」の弁である。