被災地の、巡回・テント映画・・・・高齢者よ・・・・文明を呪うな!

被災地の「テント映画館」・・・・民放TVだったかも知れない。ニュースは、半ばを過ぎていた・・・残念だったが、被災地を、テントと映写機・フイルムを持って巡回している外人さんが、TVに登場していた。
私世代は、・・・都会に過した方々には無縁のものだったのかも知れないが、・・・特に炭坑町では、青年団の「演劇活動」が盛んだった。炭住の青年団・・・若い坑内夫や、若い女性の坑外夫で構成される青年達が、映画や、芝居小屋で見おぼえた芝居を、炭坑の周辺の集落の人々・・・に見せて廻るのである。幾ばくかの入場料を払っていたと思うから・・・紙芝居よりは高価だったから、「子供が一人」でと言うわけにはいかなかった。母は、体育系だから、とんと興味がない、石炭拾いの、歳嵩の兄貴分が、連れて行ってくれていた・・・何を観たのか記憶は殆どない。ただ、「剣」を振りまわしたり、長脇差(ドス)を振りまわす芝居が面白かった記憶があるから、「国定忠治」でも会ったのだろうか・・・・。

地域の「集会場・公民館」であり、小学校であり・・・校長の裁量だったのだろう・・・時に「野外」もあった。また、大きなお屋敷の座敷で見たと言う友人もいた。男が女役をやり、女が男役をやり・・・嵌り役の青年は、人気者だった。「次は、お前たちだぞ・・・」と、芝居好きのお爺さんや、お婆さんが、声を掛けてくれったが、中学生になる頃には、青年団・演劇も姿を消していた。もう、無声映画が完全に姿を消し、炭坑の傾斜生産の景気の中で、映画館以外の、炭坑の諸施設で、盛んに、そして安く映画が楽しめる時代になっていたのである。

街の映画館でも、古い映画の「三本建て」が、4円90銭でみられたが、炭坑の施設の映画は、殆どが無料だった・・・勿論、炭坑に働く人々にしか、映画を観る権利はないのだが・・・そこは子供の世界である。大人の論理は通用しない・・・片道1時間以上も歩いても楽しみなものだった・・・帰りの、真っ暗な道は、少し怖かったが・・・。

その映画も、昭和30年には姿を消していたのではないか・・・私は高校生だから、もう子供とは遊んでいなかった。帰りの遅い弟(7歳違い)を迎えに(探す)行くことを母から命じられた記憶もあるから、まだ、時々はやっていたのかも知れない。

青年団の、安っぽいストーリーの芝居、古い、音声も怪しい映画・・・それでも、苦しい労働に耐え、父親の無い母子は、塗炭の苦しみから、暫し逃れる憩いは得られたのである。豊かな主人公に「焼きもち」を焼く事もなく、ハイクラスの生活に羨望することもなく、寧ろ、自らの現在の現実の苦しみの先にある・・・あるいは、待っていてくれる「幸せ」として、映画を芝居を楽しんでいたのである。
子供達は、分からない大人の世界に戸惑いながらも、拍手を送り、手を打って笑い・・・子供達が涙することは少なかった・・・そして、映画が終われば、芝居が終われば、現実に戻ることが出来たのである。大人の中には、現実に戻った時に、「絶望」に近い破滅感に打ちひしがれることがないでもなかったろうが・・・映画の主人公、芝居のヒーローに思いを寄せて、また、苦しみを克服していたのである。

現在とは、戦中・戦後の、そんな人々、子供の生きざまの中から生れ、成長したものであること・・・後世に、それを考えることは強制してはならない・・・が、それを知るものが、それを忘れて「現在」を呪うことがあってはならないだろう・・・・と、私は考える。

己の未来・将来を憂う(愚かなことだが・・・)、その「心配」に、未来を絶望的に考えてはならないと、私は確信する。「天然色・映画」・・・大型スクリーン(ビスタvisionあり、シネマスコープあり・・・)の迫力に驚き・感激した・・・未来・将来の人々にも、許されるべき「文明」であろう。ディーゼル特急の速さに驚いた高校生の頃、SLが電車になり〜九州では戦後〜その電車の発車時の加速に驚き・・・トンネルで、窓の開閉をしなくても済む様になり、数時間間隔の運行が、数十分になり、夜行列車が新幹線になり・・・文明とは、古びた映画や青年団・芝居に汗をした人々のバイタリティーがあってこそ誕生したものであると、改めて認識するべきではないか。

TVの天気予報がないと「漁」に出られない漁師がいると・・・揶揄されていたのは、TV出現の頃である。台風が、その発生の頃から追尾できる文明・・・

テント映画の巡回に、その文明の素晴らしさを回顧する・・・ともすると、その危険に怯えて、「反文明的」行動が、高齢者や文化人に多い。その「危険」への対応の技術的文明を急げと督促しべきなのに・・・人間は、体験しない危険に対応するのは、非常に不得手である。密林の「猿」が保菌すると言う「エラボ熱」・・・有効な対抗手段が見つかったとは聞かない。だから、当面は、近づかない・・・しかし、研究を止めたわけではない・・・幾多の危険を冒しながら、幾多の犠牲を払いながら、人類が、何時かは克服する未来を目指しているのである。

文学者が、その著書で描くのは、未来への展望なのではないか・・・未来を描く文学者が、未来に描くべき哲学を論じる哲学者が、未来に絶望する・・・私は、最大の罪人であると、思うし、人類の、最大の敵だと、断ずる。

テント映画を巡回する外人さん・・・決して未来に絶望しているのではない。否、この素晴らしい「文明」を、今一度、個々人の、特に子供達のエネルギーを掻き立てるものであって欲しいとの願いを込めたものであるのだろう。

東京では、6万人もの、似非文学者、似非哲学者、似非知識人が、終日デモをしたと言う。一人でも言いから、被災地で文学を語り、哲学を語り、そして、子供たちへの夢を力強く語るべきではなかったか・・・・決して、未来に絶望しない為に・・・・炭坑の、安っぽい映画、青年団の未熟な芝居が、何人の子供を「自死」から救ったか・・・その統計はない。しかし、私は、戦後の高度経済成長をなし、幾多の災害を乗り切ったエネルギーが、そこから誕生しているのだと信じて止まない。

高齢者達よ!・・・汝は、己を生かした「文明」を、何故故に呪うのか・・・「文明は呪うべきと・・・」と、子供達を絶望させ、自死に追いやる積りなのか・・・・ならば、自身が、一日も早く、姿を消せ!!!と・・・