日本もギリシャ化するか・・・・・Copy

ギリシャ経済の危機・・・ミレー描く「晩鐘」。羊飼いの、可憐な少女が、日没に向って祈りを捧げる。「今日一日の平穏」を神に感謝しているのであろう・・・私の好きな「絵」の一枚である。長崎の、夕方のスーパーで、幼い子供をゲームセンターに遊ばせて、両親が買物をしている間に、一人の少年に、その子供が、駐車場から突き落とされて殺害された・・・勿論、メディアも、この少年を非難した・・・当然ではあるだろう。しかし、夕刻の「一家団欒」の時間にデパートに買物に出掛ける・・・その時間帯に、ゲームセンターに群れる子供達の中に、我が子を投げ入れる・・・猛獣の前に、生贄を捧げる様なものではないか・・・と、論じたことがある。さしたる反響はなかった・・・コメントはなかった。そんなことを思い出した。しかし、今日の「論」とは、全く無関係である。

遊牧・・・羊にしろ、牛にしろ・・・非常に生産性が高いのだと論じた論文を読んだことがある。この「絵」の様に、家事の用にも、それほど役に立つとは思えない、あどけない少女が、数十頭の羊を遊牧させるのである。しかも、「草」は無尽蔵にある・・・自然のものであり、それほどの投資を必要とするものでもないだろう。しかし、この遊牧が盛んだった地域の山・・・特に岩山は、白い石灰石が、剥き出しになった土地を残す・・・つまり不毛の土地になるのである。農民が・・・特に日本の農民の様に・・・土地を大事に利用する「思想」は生れない。そして、何を残すか・・・著者の曰く・・・「怠惰」であると。一人の少女に任せておけば、羊は育つ・・・それを換金し、のんびりと「酒」でも飲んでおれば、一生が安穏である。時々、兵隊に取られるが、死ぬのは運の悪い奴で、働きのない男が、生き残る・・・と。
そして、この「安穏」さが、「文明」から、日々の精神を遠ざけた。文明の発祥地が、文明後進国になるのに、それ程の時間は要しなかった。覇権の地位は、ローマに奪われ、半ば属国になっても、再び、新しい文明を誕生させることもなく、地中から掘り出した、過去の歴史が刻まれた「像」に、その、僅かに残存した「文明」を消費し、「文化」の遺跡の中に埋没した。
そして、闘いの「文明」を継承したローマは、その長過ぎた闘いの歴史の中に、その命を消費したが、その陰で、イスラムが、その文明を継承し、今日の「西欧」に渡した。その間、遊牧の民の国家は、大航海時代に、大洋に遊牧をしても、そこに、「文明」を花開くことは出来なかった。「通商」という、「「文明」に盲目であったからである。つまり、「略奪(遊牧も、一種の略奪である)と消費」しか知らない「文化」の行きつく所ではあったのだろう。

日本も、「金、銀」に溺れた時代があったが、農民が、しっかりと、国土(農地)を、中国文明から得た「文明」を、自家薬籠中のものとして、また、先生を大きく凌ぐ「文明・技術」に発展させて、遊牧文明、戦争文明(ローマ)、イスラム文明を凌駕した「西欧文明」の到来を待ち、果敢に挑戦し、これまた、自家薬籠中のものとし、更に、大きな「文明・技術」へと発展させたのである。

今、「文明・技術」の怯える日本人が増えているのではないか・・・・「核」は、人間が、現在の所、最終的なエネルギーとして「手」にしたものである。技術とは、まず「戦争」の中で、その効果を実現する。「石」であり、「青銅」であり、「鉄鋼」であり・・・・化学加工製品である。その裏には、常に危険が伴い、あるいは、「差別」が生れ、善悪ないまぜに、その切磋琢磨で、今日に至っているものである。

ペリー(或いは、列強)の、鋼鉄製軍艦に驚いたのも、「鉄が浮く」と言う現実だった。そして、蒸気の力で動くと言う現実だった。「蒸気エンジン」は、西欧文明が獲得した「文明」である。しかし、その「蒸気」の力は、ギリシャの時代に既に認識されており、ローマ時代には、蒸気の力を利用した「玩具・・・見世物」が誕生していたと言う。
新しい文明とは、「恐怖」が先に立つ民族や、地域では発展しない・・・玩具の段階で終る。あるいは、「文明」を酢逸れる民族に、発展の機会は訪れない・・・・緩慢な「奴隷環境」が、準備されるだけである。そして、気力なき民族に「変身」した時、永遠の「奴隷」と化する。

昨今の「ギリシャ危機」・・・ユーロの統一で、ドイツとフランスが、その経済戦争に勝利した・・・現実である。そして、自ら働かず、汗を嫌って、物乞いの手を出す、ギリシャに無尽蔵の援助(融資と言う、貨幣の爆弾)を行った。ギリシャ経済は元気であったが、その元気は、ドイツ、フランスへの多大な「負債」となった。そして、世界不況である。ドイツ、フランスが、その返済を求めなければならない時期に至った時、ギリシャの経済は破綻の運命にあった。ギリシャは、フランス、ドイツに、負債の全額棒引きを迫っている・・・これは、フランス、ドイツの経済を破綻に追い込む危険を孕む・・・ポンドを維持した、イギリスだけが、高みの見物をしている。

世界を凌駕する「文明」を手にしている時は、世界を統一する・・・例えばユーロ・・・は有効である。しかし、絶対的安定が保証されなければ、何時かは破綻にいたる。通貨を統一することが、経済状況を「平均化」することではないからである。通貨とは、一国の経済、一民族の経済を計るバロメーターであり、国民に、時に節制を求める力であるべきなのである。
現在、日本の「国債残高」が、不安視されても、一応の安心を世界に与えているのは、その「負債」の始末は、日本人自身が、責任を持って行うであろうとの期待があるからである。例えば、デノミ、あるいは、物価の高騰・・新通貨の発行等々。「円高」の原因でもある。言い換えれば、「我々の覚悟」が、政界から評価されていると言うべきであろう。
野田総理が、「原発開発」の続行を国連で明言した・・・これこそが、日本が「ギリシャ化」しない妙薬である。国内で、「原発」の基数を減らす・・・これは、危険回避の為に必要であるかもしれない。しかし、現在の様に、古くなった技術を何時までも温存するのではなく・・・より安全な「原発」への更新を視野に入れながら、その技術を磨き、向上させる・・・これこそが、日本の技術立国のステータスを永遠に保持し、国家として永遠に存在する為の条件であろうと、私は考える。


鉄のカーテン」があればこそ、ギリシャの存在価値は存在した。「鉄のカーテン」の破片すらも存在しない現在、ギリシャの存在は、教科書の中の、遺跡の写真だけになっているのである・・・「文明」に無関心だった、国民が、今後にどんな犠牲を強いられるか・・・恐らく、国家が消滅するのだろう・・・私の予想である。