中国・地下鉄追突に思う・・・・

余程のぼんやり運転をしない限り、地下鉄で「追突」はあり得ないのではないか・・・地上の鉄道に比べて、地下鉄は数倍も安全だと・・・何かで読んだか、あるいは講演で聴いたか・・・記憶がある。
理由は、障害物が、基本的には存在しない。また、駅の間隔が短いので、前の車両が見えやすい・・・見えれば「制動」を掛ける・・・・その事に怠慢でなければ、まず、追突も起こらない・・・そんな話だったと思う。「信号機」の不具合が命取りになることも少ないのではないかと、私は思うのだが・・・甘いのか。
しかし、先の、高速鉄道の事故も、「信号」の不具合だった・・・この場合は、高速鉄道を、信号で制御するのかと驚いたが、低速鉄道と高速鉄道が、同じ軌道を走っているからだと、聞いた。本当か?と、わが耳を疑った。
かつて、孫文が、横浜の講演会で、「日本は、狭軌鉄道を採用したことを後悔するだろう・・・」と述べた一文を読むことが出来るが・・・・それ故に、日本の鉄道は安全なのだと・・・反論したい。
しかし、システムの故障・不具合は、そのシステムの永遠の課題である。何故なら、システムは、人間の知恵の総結集である・・・しかし、「総」とな名ばかり、そんな事が出来る筈がない・・・・人間の英知・・・それが、一つ一つの事象の関連に出来するものであれば、システムは常に「鬼子」を、その中に抱え込み、常に、新たな「鬼子」を誕生させているのである。
システム開発で、客先に最も嫌われるのが、「Test data」の、作成・提出である。それを、新しいシステムの入力させようものなら、必ず「値引き」を要請される・・・・何故なら、その作業を、客先自身のworkと認識していないからである。
しかし、考えても見るが良い・・・・自転車を購入する時、販売員が上手に乗りこなせたからといって、自分に適した自転車か、否か・・・・そんな事が分かるはずがない。自分が使うものは、可能な限り、自らが、そのれを確認しなければならないのである。そして、其処に、UserのUserたる見識が存在するのである。
不具合、ひやりはっと事故は、日常茶飯事に出来する。十分な経験が、精密なTestDataを提供し、その内容を認識することが、運用で発生する事故、あるいは事故まがいの事象への対処を容易にし、適切な処置が可能になるのである。

一件の事故・・・特に人身事故・・・の裏に、300件の軽微な事故が存在する。もし、事故の責任を問うなら、事故発生時の責任を問うのではなくて、300件の軽微な事故への対応のマナーが問われるべきなのである。事故車両を埋めて、証拠の隠滅を図ったり、碌な調査もしないで、運転を再開したり・・・それは、システム以前の組織の在り方が問われなければならない・・・・そんな鉄道に乗ってはならないのである。
中国経済の急速な成長・・・それが「血」で贖われたものであることを、今回事故の現場の様子にも感じる。我が国にも、かつては存在したものである。現在も、「ない」と言えるのか、否か。「他山の石」と、謙虚に考えるべきではあるだろう・・・・