「格差」礼賛・・・・

格差礼賛・・・・

日本の財政累積赤字・・・つまり「国債」発行高・・・は心配無用だとか。政治家も評論家も、危険といったり、安心と言ったり、その場、その場で、使い分けているようだが・・・結論は、「今更騒いでもどうにもならん・・・」つまりは、「踏み倒せ・・・」と、同音異語なのだろう。

落語に「花見酒・・・だったかな・・・」と言う話がある。酒樽を担いだ二人が、売り手と客を交互に演じて・・・その大きな酒樽の酒を飲み干す話である・・・結論は、売ったはずの酒の「売上」が全く増えていない・・・と、気づくのが「落」である。簡単に言えば、酒樽の酒は減るが・・・酒の代金は、同じ「お金」が、二人の間を往復しているだけ・・・と、言うこと。

「借金(負債)を後世に残してはならない・・・」と、これは建前である。社会が原始時代に戻るのならともかく、日々新しいものが生れ、多少なりとも便利になり、日々、珍しいものが現れ、美味しいと感じるものが食べられる・・・況や、一日に「2度」の食事が「3度」になり、子供には「おやつ」があり、父親には、晩酌があり、仕事上がりの一杯がある・・・これなども、前の世代の恩恵で、後世が享受するものの類であろう。負債を残さずに「財」が残るものなのか・・・少し、冷静になった方が良い。

人間の「為すこと」・・・一代で造り、一代で使い尽くすことは不可能である。むしろ、何世代も掛けて造り、後世への遺産とし、後世は、更にそれを発展させる・・・・ジャンボ機も、新幹線も、パソコンも、その延長線上にあるのである。樽の中の「酒」を枯渇させないのが、人間の人間たる所以であろう・・・混ぜ物をしてでも・・・。危険なもので言えば、先の大戦の末期に世界中が震撼した「原子爆弾」・・・60年を経た今日、同じ「災厄」を人類はまだ体験していない。否、「災厄」を回避しているのである・・・テロが後を絶たない原因もここにあるのだと、私は考えるのだが・・・もし、「文明」に背を向け、次のステップを躊躇するなら、この世は、この「花見酒」の「樽・酒」の様に枯渇するだろう。この「樽」を担いだ二人、酔っぱらってふらふらになって話は終るのだが・・・「文明」に背を向けた人類・国民は、「酔生夢死」のママに臨終へと至るだけである。

いま、増税国債か・・・おそらく「増税」になるだろう。何故か、「国債」への誤った認識(と、私は考えるが・・・)が、増税野田総理に選ばさせるだろうから・・・しかし、国債発行への圧力も大きい。
増税」派の主張は、「借金をふやしてはならない・・・」の一点・・・「借金は踏み倒すもの・・・」との認識がないからである。日本に、経済的理念が誕生してから、徳川時代を通じて、何度も「徳政令」が発せられ、貨幣(小判)の改鋳が行われてきた・・・これ等も、現代版・「国債」であろう。

明治新政府が誕生した時、明治政府の財布は空っぽだった・・・勝海舟が、「徳川の方が金持ちだ!」と嫌みを言ったとか、言わなかったとか・・・氷川清話の中にも何度か、海舟の自慢話として出てくる。つまり、「国債」を発行しながら、徳川政権は稼ぐものを稼いでいたことになる。江戸城明け渡しも、西郷が海舟から恐喝されて、平和裏になったものであると言う。つまり、徳川政権には、人材が多士済々・・・「海軍力」への関心は高く、幕末には、多数の軍艦を購入、軍人も育成していた・・・西郷が、江戸城・開城を求め、それが聞き入れられないときは、「総攻撃をする・・・」と、海舟を恐喝した筈だった・・・しかし、勝海舟は、官軍を江戸城に押し籠めて、江戸を「火の海」にして、官軍を蒸し焼きにすると、脅したらしい。
江戸焼き払いは、海舟側の戦略だったのである。その時、江戸湾東京湾)には、江戸市中に「砲」の照準を合わせた軍艦が浮かんでいた・・・西郷が、海舟に大きく譲歩せざるを得なかったと言う。勿論、海舟は、江戸幕府の存続は望んでいなかったから・・・戦火なきままに、政権が交代し、平和裏に時代が変わることを望んでいたのである。海舟は、西郷や福沢などは足下にも及ばない大人物だった・・・まだまだ、歴史の中でも評価が低いと、私は残念である。・・・話がそれた・・・幕末の徳川の強さは、破産を重ねた財政政策にあったのだと、私は言いたいのである。余計な話ではあった・・・・

何故、国債が売れるのか・・・国内で・・・日本人が買うからである。買わされて困っている人の話を聞かない。養老孟司は、「国家を民営化しろ・・・」と、近著にぶちまける。つまり、「金持ち」に、運営させれば、金持ちは更に金持ちになるだろう。しかし、貧乏人にも「お零れがあるだろう」と、言いたいのだと思う。

ある企業家の弁・・・今の雇用形態では、社員を増やすことは不可能・・・何故なら、不況になった時、企業規模の、戦略的規模縮小が必要になった時、実行が困難になる・・・また、離職、転職・・・あるいは解雇が困難だから、新しい企業転換試みることが難しい・・・従って、派遣、臨時採用で、その場その場を凌いでいるのであると。また、正規社員の給与を上げる・・・国債を買う金を社員の給与に回すと・・・社員と派遣・臨時の「格差」を大きく広げることは必至である。
日本人は、他人の「給料・報酬」を引き下げることが好きである・・・またメディア、新聞も、そのニュースで騒げば、販売数を増やすことが出来る・・・卑しい国民性を持っている。「格差」の増大は、企業の存続の倫理性を問われかねない・・・不合理ではあっても・・・故に、国債を買うのが、国家への貢献であり、国家の安定は、企業の必要条件であると・・・

私は、この論理に納得する。幸い、貧しき故に、社会的に差別される社会ではない。臥薪嘗胆・・・チャンスを待つ事は可能な社会である。私の知る限り・・・就職に成功した学生と、成功しない学生・・・TVのインタビューなどを見ていて、「そうだろうな・・・」と、納得させられることが多い。某リクルート企業・社長の弁では、就職に成功している学生は、高校生、少なくとも大学生になった時からの努力・・・当人にとっては日常・・・に大きな差があると言う。それは、生活の一般的マナーであり、読書であり、知的欲望であり、そこへの積極的な行動であると言う。少なくとも、自分の部屋の整理が出来ていない子に、就職のチャンスが与えられるはずがない・・・と、考えるのは常識であると・・・。

襤褸は着てても、心は錦」・・・とは、「襤褸」が問題なのではなくて、「心」の在り様が問題なのである。外見の「襤褸」と同じ様に「心」が荒んでいて、一緒に働く気持ちに、他人をしてなさしめる可能性はないだろう。

「格差」をマスコミがメディアが、騒がなくなり、企業が、社員の大幅ベースアップをすれば、社員の意気も上がるだろうし、生産性も、生産も飛躍的に上がるだろう・・・景気は、そこから上向きになる・・・すくなくとも、国債を買うよりも、社員の豊かな生活が、企業の像収益になることを企業が認識すれば、企業規模の拡大も、新規企業も可能になるだろう・・・国債(赤字)の新規発行も必要性を失くす・・・健全財政への道である。しかし、その時、「劣勢・必敗」を避け得ない社会が生れる・・・「優(勇)者・必勝」を目して、健全な社会が生れる条件ではある。もちろん、弱者への手厚い手当と、敗者への厳しい励ましと・・・欠かしてはならないものではあるだろう。
この条件が満たされた時、この国は、現状を脱し、その威を世界に見せることになるだろう・・・「進化論計算」も可能なのではないか・・・進化経済論はないのか・・・知りたいものである。