議員宿舎・・・・弁証法でもあるまいに・・・・Copy

かつて、「鳩時計の鳩」と云われた総理大臣がいた・・・鳩山一郎。出たり、入ったり、また出たり・・・と、国家でも揶揄されていた。功績を残すために挑戦した「対ソ外交」・・・北方四島を置き去りにした、この外交・・・果たして評価されるべきものであったのか、否か。今世紀中には、定まるまい。

「公務員宿舎」の建設・・・・もう古びたものもあるようだから、建て替えの意味では、大義名分もあるのだろうが、その「正否」の問題ではなくて、その可否を決定するプロセスに、胡散臭いものを、私は感じるのだが、実行の側からも、反対の側からも、その主張が明確には聞こえてこない。おそらく、双方共に、感情論になっているのだろう。

私の感想を先に言えば・・・都会の中の空間である。子どもたちが自由に遊べる「広場・・・芝生付き」に出来ないのか・・・・New Yorkのcentral・parkは望めないでも、子供たちが、走りまわれる場所になれば、小さな災害の時の、非難場所にもなるだろう。また、都会のcentralheatの緩和にも効果的になるのではないか・・・・節電を家電だけに依存するのではなくて、東京全体で冷やす思考も大事ではないか・・・甘過ぎるか?・・・また、少子化の対策としては、「子供手当」よりも、有効ではないか・・・・。

「公務員宿舎」が必要なものか、否か。数年毎に転勤をさせる・・・私の父も「刑務官;法務府事務官」だったので、大凡、2年毎に転勤を繰り返した・・・平看守の間はない・・・幸い、九州管内だったので、家族も父も、それほど苦痛には思わなかったが、私は、12歳頃から35歳まで、父と同じ屋根の下で生活することはなかった・・・・自らの「単身赴任」に、全く苦痛を感じない私に、同僚は奇異の目を注いでいたが・・・・。

警察官、刑務官(管理職)、裁判官・・・等の、短期間・転勤を余儀なくされる職務を除き、公務員宿舎が必要なのか、否か・・・・熟慮すべき時期ではないか・・・・また、公務員宿舎でなければならない理由も、精査な、検討を必要としているのではないか・・・・35歳から刑務官になって父が、官舎に住むようになったのは、私が就職し、妹が就職し、弟が、鹿児島の大学で下宿生活をする様になってからである・・・・2間の狭い官舎で、親子5人は無理だったろうな・・・最後となる官舎を訪れた時に思ったものである。故に、私は「官舎」には住んだことがない。

警察官も刑務官も、「非常呼集」があるから、官舎は有用であろう。しかし、一般職の公務員に、官舎が必要か否か・・・・これは疑問であろう。戦前の公務員、直・戦後の公務員には必要性もあったのだろう・・・・これは、私年代には、理解できる。しかし、住居市場がこれほど盛況をしている時に、わざわざ税金を使って、特定個人の為の住居を整備しなければならないのか・・・・都会の住居費が高価である・・・との理由なら、それは、政治家自らが解決しなければならない「政治課題」ではないのか・・・・何故、其処に思考が行かないのか…・与野党議員に共通の、私の疑惑である。

私の最大の懸念・・・・「テロ」の危険・・・・集中している方が危険回避の可能性が高いのか。あるいは、危険性が大きくなるのか。この程度の国会議員の心配をする必要はない・・・代わりは幾らでも「ある」とのご意見もあると思うが、そこは、少しだけ「仏心」で論じさせて頂く・・・。
つまり、各自が、自分で探した宿舎を利用する・・・・費用の負担は論じない・・・これへの個人的警備が、どれほどのものとなるのか・・・・政府役職の議員には当然「警備」が付くが、これは、現在も、東京在住の政府要人と変わらない。問題は、護るに値するか、否かを別にして、分散宿舎で、個人の警備が可能か、否か・・・・現・名古屋市長の様な、個人的下宿的な議員が襲われたことを見聞しないから、問題にするに値しないのかも知れない。

寧ろ、議員宿舎に「集合」させて・・・・そこを「テロ」に襲われれば、役立たずの世評は別にして、国家的損害は大き過ぎるのではないか・・・・つまり、分散居住の方が、国家的見地からも安全ではないか・・・と、私は考えるのだが、media報道も、その点には触れない・・・彼らにしてみれば、分散されると、取材が大変だと云う認識があって、宿舎・テロの危険性よりも、取材の効率の方を優先させるのかも知れない。

いずれにしても、「やる・・・やらない・・・」の往復を、国民が飽きるまでやって、国民が諦めた頃に、急ぎ建設するのだろうか・・・・「仕分け」も、歴史的eventになるとうしている。せめて、「やる・・・やらない」の議論を続けて欲しい・・・・そして、「正ー反ー合」の弁証法の姿が、見えれば、私も、その時に、更に考えたいと思う。