小沢無罪で、野田。桜が散るか・・・・

「4億円」が、何処から出たのか、「私の金」なら・・・何の為の銀行の融資なのか・・・そのからくりが、国民に見えないから、検察審査会が「起訴相当」と判断したのではないのか・・・昨日から今朝まで、TVのニュースは、「小沢裁判」一色だった。其の中で、縷々説明されるのだが・・・「やっぱり解らない」。

もう一つ・・・経済事犯の殆どが、「証拠不十分」で、被告側の有利に進行する・・・貧乏人の「僻み」だけではないだろう。つまり、物的証拠がないから、有罪にはならない・・・そんな論法なのだろう。エリオット・ネスも、アル・カポネとの闘いで、最終的には、その会計責任者と帳簿を押さえるまでは、ネロを有罪には持ちこめなかった。現今日本でも、各都市の首長が、「暴追」を叫んでも、その勢力を撲滅できないのは、やはり「物的証拠」と言うハードルだろう・・・あれだけ、家宅捜査をやっても、「拳銃、手榴弾」の一個も出てこない不思議はあるが。小さく抑え込む・・・これが、日本司法の「知恵」なのかな・・・とも思う。

しかし、庶民感覚では、「物的証拠」をやすやすと押さえられる様な、経済事犯なら、告発の価値もないのではないか。子供が、親の財布から「金」をくすねる・・・その程度のことで、とても「4億円」にはならない。今回の、小沢一郎・4億円の捜査も、犯人隠匿をするための養子縁組を繰り返している様なものだろう。そして、その知恵を付けているのが、元・検察刑事・・・最高検察庁・・・なのではないか。
通産省の「天下り」をメディアや芸人キャスターのニュースワイドショーが、色々と論評するが、大物政治家の汚職、政治資金に関わる事犯の弁護士が、殆ど、元・高検、最高検検事でることを非難することはない。私には、不思議なのだが・・・私がおかしいのか?

今回も、小沢一郎が、「証拠がない・・・」と、盛んにマイクに向かって喋っている。「ないのではなく、隠したのだろう・・・」と、私は言いたい。
「秘書と談合したことはない」とのたまう・・・当りまえだろう。ひとつひとつ、こと細かに指示しなければならない様な「秘書」が、これだけの大物政治家にいる分けがないだろう・・・「談合」などなくても、「指示」がなくても、以心伝心・・・右から左へ、時には天井に、また治下にと、思うがままに、証拠隠匿はできるのである。それだけのことだろう・・・しかし、「お金」とは、じっとしていれば、其処から根を延ばして、旧悪の源近づこうとする。「お金」は、その終生地を恋しがるものなのである。

「4億円」・・・何処に還りたいのか・・・庶民の臭覚は嗅ぎ付けるものなのである。貧乏人故に、臭覚は敏感なのだから・・・。この裁判が、「司法の自殺」だと、小沢先生は言うが、私には、「小沢政治」の終焉を暗示し、小沢一郎が、その中で、のたうちまわっている・・・その様に見えるのだが・・・。運よく「無罪」になったら、今度は民主党がもたないだろう・・・・野田政権が、来年の「桜」と共に散るのかも知れない。