津波報道の隘路とは・・・・・


1メートル、2メートル、いや、3メートルまでなら大丈夫・・・街頭で、マイクを向けられた人々の「津波観」である。全部が、そうだった分けでもないのだろうが、津波軽視の風評があることには間違いないのだろう。
しかし、この意識・・・多分に「メディア」の意識的犯罪だと私は思う。恐らく、流体を扱う研究者、あるいは、作業者には、メディアの報道の姿勢に危険を感じていた方が多いのだと思う。

土砂にしても、津波にしても、はたまた小さな流れ・・・クリーク、溝・・・にしても、危険は、そのボリュームにあることをメディアは伝えるべきである。急斜面の土砂崩れが、大きな災害を齎す。緩慢な斜面で、少しずつ流れ、崩壊する(とも思えない程度の)様子に注意を向ける人は少ない・・・また、その量が手に負えなくなるのを実感するまでには時間を要するから、逃げる時間も得られるのである。しかし、急斜面の土砂崩れでは、一瞬の中に、判断の余地を与えないで、被害を及ぼす・・・この違いが解らない程に我々は無知ではないはずである。少なくとも、中学校・学歴で、その判断が出来る様な教育がなされ、勉強するとは、その知識で、己の命を守る条件を身につけることだと言う意識を植え付けるものでなければならない・・・と、私は考える。

さて、津波・・・これは、今回の大震災の報道の中で、我々が見たものは、望遠カメラの映像であり、上空からの鳥瞰映像であり、しかも、アナウンサー、レポーターが強調したのは、伝えたのは、「津波の高さ」の数値だけだった。視聴している私も、「この高さの津波・・・」では、被害が大きいのはむべなるかな・・・と、思ったものである。DVDを再度見てみると、家屋が壊れ始める時の津波は決して高くない。海岸の岸壁の記録は20メートルを示していても、家を流し、人を攫った津波の高さは、精々1メートル、高くても3メートル程のものだろう。
岸壁近くの「クルマ」を流し、コンテナーを流した波も、最初からクルマを水没させた分けではない・・・水流に流されているだけである。そして、1トン近くのクルマが、易々と流されていることに、改めて気が付くのである。そして、その様子を伝える現場のレポーターが、数十メートルの津波に襲われた如くに叫んでいるのである。

昨夜から、低い津波への警戒心を喚起する報道がなされているが、報道の姿勢自身の反省が求められるところであろう。特に、芸人レポーターのニュース報道に、その傾向が強い。そして、NHKがその後追いをする・・・報道に携わる人間としての矜持を捨て、誇りを忘れた姿勢と言わざるを得ないだろう。

土砂にしても、津波にしても、小さな流れにしても、そのボリュームが「力」なのである。水流を一瞬の流れとして捉えるのではなくて、其処から逃れるに要する時間の間のボリューム(量)として、捉える見識が重要なのである。つまり、「流れの速さ × 己が脱出に要する時間 × その流れの幅」・・・・つまり立体的に捉える意識が必要になる。
私は、メディア報道の真摯な反省を求めたいと思う・・・・。急いだ方が良い・・・。