曽野綾子を読む・・・・1

「揺れる大地に立ってー東日本大震災の個人的記録」から・・・
プロローグ
東日本大震災では、数人の大臣が、その口災で辞職を余儀なくされた・・・結構的を得た発言だったのだが、曽野綾子の言う「いい子ちゃんぶり・・・」のマスコミのscapegoatにされた。この著の中には、これら大臣の言説に類する発言も可なりの頻度で登場する・・・「作家はいいなぁ・・・」と、大臣ならずとも思うことだろう。作家だから許されるのか、件の記者諸君の読書の不足が、その発見を促さないのだろうか・・・どちらでも善いが・・・その語録的なフレーズを集めてみた。2回あるいは3回になるかも知れない・・・

曽野綾子は、終戦時;13歳・・・戦後の大人の入口の年齢である・・・マッカーサーは「日本人は12歳」と言った。そして、当時の日本人の多くが納得した。田中真紀子外務大臣が、アメリカ大統領の所在を記者会見で明らかにした時・・・アメリカが、表立っては、それを非難しなかった・・・12歳以下と言いたかったのではないだろうか。現代だと、25〜30歳お日本人が、その程度なのだろうと思う・・・・私は「9歳」・・・引揚を体験しているから、戦災に遭遇した内地の子よりも、随分と大人びていたと、今に思う。道を歩いていて、大人の顔色は読めたし、学校で、教師の次の行動も察することも出来たし、欠点も利用する事を知っていた。団塊の世代以降の日本人には、曽野綾子の発言は「許せない!」と感じるものが多いのかもしれない。3歳年下の妻でさえ、可なりの拒絶がある・・・内地で、戦災にも会わず、飢餓にも遭遇していない家庭でそだったから・・・。

この著は、17世紀のイギリス人;サミュエル・ピープスの「日記」に触発されたものであると、本人も述べていて、作家には、その義務があるのだとも主張する・・・時代を写す「日記」とは、誰にでも書けるものではないのだろう。20年余りの日記を、数年前に焼却した私の体験からも納得は出来る。遭遇した事について、自らの感想・コメントを遺憾なく纏める事・・・これはやはり文才であり、文章の経験を要するものであると、私も思う。経過を逐一追うdocumentとは違う、彼女の視点を感じる心地よさが、私の共感を呼ぶ。

全体を理解するためのフレーズ・・・・
比較的老年の人は、(今回・震災に)ほとんど動揺を示さなかった・・・それは、多くの人が、幸福も長続きしないが、悲しいだけの時間も、また確実に過ぎてゆくと知っている。また、どん底の絶望の中にも、常に微かな光を見たからこそ、人は生き延びてきたのだと言う事実を体験している・・・からだ。
このフレーズが、総理大臣の国会演説の中に存在したら、あるいは、「革命」騒ぎになっていたかも知れない・・・と、私は思う。しかし、曽野綾子女史が語れば素直に読める・・・だから不思議である。

前述のピープスの日記にも、これに類する観察があちこちに散りばめられていたと、遠い昔に読んだ記憶が蘇える。「ペスト」の死者を運ぶ馬車の列が続く、街の中心を貫通する通りに面したキャバレーでは、絢爛豪華に飾った店で、既飾った紳士淑女が、歓楽の溺れている様子が描かれていたと、記憶する。曽野綾子の、この著には、其処までの記述はない・・・しかし、銀座では、新宿では・・・似たようなものだったのではないか・・・。義捐金分だけ、ホステスの指名料が減ったのかもしれないが・・・。

「喜ぶべき面を理性で見い出すのが、人間の悲痛な義務だが・・・人間は、嘆き、悲しみ、怒ることには、天賦の才能が与えられている。しかし、今、手にしている僅かな幸福を発見して喜ぶことは、意外と上手ではない・・・」と、紹介されるパウロの一節をどう読めばいいのか・・・仏教徒の私には難しい。

その1;;;;
普通ほっておけば、人間は事件や物や人から遠のけば遠のくほど、感情や関心が薄くなるのだが、それを超えて人間的な感情を持つことが「同情」であり、「共感」である・・・/曽野綾子
義捐金やボランティアの集まり方を知る限り、「同情」、「共感」は、強いものを感じるのだが、その裏で、はびこる「風評」は、どう評価すれば良いのか・・・特に「放射能」と言う、体感的に得体の知れない「危険」を、被災地の被害者に「騒ぎすぎ」と責めることが可能なのか・・・被災者の「恐れ」の感情が、風評を拡大していると言えなくもない・・・メディアも、僅かな言葉の齟齬が、その命取りになりかねないことを恐れて、十分な報道をしない・・・故に、風評が風評でなくなる危険を帯びているのではないか。
「広島は?」と、問う人は潜在的には多いのだと思うが、それを口にする人はいない。曽野綾子は、後段で問題提議をしえいるのだが、考えるべき材料がないから、それ以上の進展は述べていない。原爆投下の翌日に、長崎の焼跡を訪れたカメラマンが、80歳を過ぎて、矍鑠としている・・・その差は何か?・・・今は、誰も口にしてはいけないことなのだろう。
「同情」、「共感」・・・と言い条、被害者への同情だけではない・・・・
その2;;;;
逃げるべき土地、逃げて暮らす家を政府に「世話しろ・・・」と言う発想は、戦中戦後の、一人として考えた人はいなかった。/曽野綾子
確かにそうであろう。開拓地を与えられた引揚者ですら、住む家を準備して貰った人は僅かなのではないか。「掘立小屋」なるものが、人間の住む家だった・・・とは、ある開拓農民の懐古の中にあった・・・NHKドキュメント。
我が家族も、鳥小屋にしていた「空き部屋」が当面の住処だった・・・数ヶ月、ヤミ焼酎の家業をして稼いだ幾ばくかの金で、バラックを建てた。屋根は便利瓦、天井はなし、六畳と四畳半、台所は土間、水は数百メール離れた井戸から汲んで来た・・・「便所」の汲み取りは、10歳の私の役割だった・・・だから、母親の「整理の日」も知っていたし、妹の「初潮」を知ったのも、私が、母親よりも早かった。硝子戸がないから、激しい雨の時は、真っ暗な部屋に潜んでいた。しかも、土地は、近くの炭坑の空き地の無断利用だった・・・。また、それを非難する人はいなかった。誰もが、その努力に無言の支援をしていたのである。懸命に生きる人へのシンパシー・・・その美しさが被災地にあったのだろうか・・・曽野綾子は触れていない。
ヤミ焼酎で言えば、峠を越した場所では、在日朝鮮人の集落があり、やはり、養豚場の臭いに隠れて、焼酎を作っていた・・・時々、機動隊の手入れがあったが、すぐ近くのわが家では、数か月ではあったが、何事もなく稼いでいた・・・恐らく、当時は「地方警察」だから、お目こぼしがあったのだと、今に思う。鬼平犯科帳の現代版とでも言うべきか・・・。
その3;;;;
人と付き合うことは、イコール、人と摩擦する部分を作るということ・・・・
阪神淡路大震災の時の避難所風景と、今回・東日本大震災の避難所風景の違いは、私の目には、家族を仕切る隔壁だった。当初は段ボールだったものが、「隔壁」としての製品すらあることに驚いた。
注文津から乗船したLSTの中で、隔壁のない雑魚寝のなかで、「物」がなくなる騒ぎが、しばしば起っていた。少年の目には、争う大人の姿が楽しみなものだったが、人間とは浅ましいものだと・・・私の「人間観」の根底にあるものだが、不信感ではない。懐に、大事に抱えて38度線を超え、そこで、懐の紙幣、債権が紙屑であると知らされて、それを海に投げ捨てる男達・・・同情もしなければ、卑下もしない・・・その冷静さが、極地に追い込まれた人間のマナーでもあるのだろう。
Aと摩擦を生じるから、Bと協力できる・・・いや、協力を求める。そして、時を経れば、Aとも同じ関係が生れる・・・これが人間の妙なのだと、私は思う。ひとつ、ひとつを根に持てば、最後は、60億人、70億人が全部敵になる・・・誰も同情しないから、紙幣、債権が「真」に無価値なものだと、思いに至るのである。そして、「諦め」が、真の諦めになる・・・重荷でなくなる・・・幸せになれるのである。
曽野綾子が、別の所で記述しているのだが・・・現代は、全ての人と絶縁しても、「政府」が助けてくれる・・・摩擦が、摩擦として「学びの源泉」にならないのである・・・現代の悲劇ではあるだろう。
その4;;;;;
誰もが、「平等」と「公平」を希求する・・・しかし、希求することと、それが、いとも簡単に実現するように思うこととは全くちがう。
「平等」の概念は、その「差」が小さければ小さい程に紛争の原因になる。オルテガが言い、日本では、西部邁が常に強調する。「公平」も同じ。「不公平」・・・並んで歩いていて「雨」に遭遇しても、その濡れ方は違う。理由は色々あるだろう。それを面白がるのも「知恵」であり、時に「癒しの友情」になるものでもある。しかし、これを「根」に持つものがいる。「濡れまい・・・」と、思えば、それなりの準備、心がけが必要であるが、その「知恵」が平等に与えられることはない・・・文明社会の人間なのだから・・・。
今回・大震災の直後でも、細かい取材では、個々人の知恵が生きている光景が幾つか紹介されていたが・・・「こんな苦労を強いるのが政治か・・・?」と叫ぶレポーターの台詞は、私には奇異に聞こえた。
藤原ていが、韓国まで一跨ぎの地まで辿りつき、小さな流れを渡る・・・5歳の長男は自力で渡った(超えた)、生れて数ヶ月の咲子はリュックの中である。3歳の次男・正彦が躊躇する・・・その時の母の叱咤・・・「お前は此処で死にたいのか!」・・・この一声で、正彦は川に飛び込み、無事に渡る。季節は2月だったと思う。三人の子供への、母の愛情の平等であり、与えられた方法は公平である。「流れる星は生きている」から・・・。
今回震災の避難所で、「平等」、「公平」を求める人の姿を、私は見ていない(TVにではあるが)・・・寧ろ、メディアが、芸人キャスターの台詞の中に、何度か聞いて、違和感を感じたが・・・・<初回はここまで・・・>