相撲部屋の制裁・・・・


日本の習慣になじまない外国人・青年、そして、家庭の躾が殆ど出来ていない日本人子弟・・・・そもそも「相撲」の世界にとっては「想定外」のいはば「新人類」・・・いや、社会人として言えば、「人類以前」の「人間」なのではないか・・・勿論、巷には、そんな人間が溢れている。生れた子供をコンクリート詰めにする。自らはクルマの中に安穏としていて、子供に「物乞い」をさせる・・・学校に通わせれば、教室で傍若無人の振る舞い・・・少しきつく叱ると、monster-mamaなる母親が、学校に怒鳴り込む、授業の妨害をする・・・果ては、教師を教壇から追い払う・・・幼くは「自転車」で、他人をはねても、罪の意識はない。成長しては、クルマの暴走。クルマを使っての、広域犯罪・・・山中に遺体を放置し、発覚を遅らせる為に「裸体」にする・・・死者にすら暴行を加える、非人間的行動・・・それを、ワイドショーで、お笑いのタネにする、教育評論家・・・子供っぽい格好が「売り」だが、理解ある教育者として人気らしい・・・私には、TVの犯罪だとしか思えない。かくなる人物は、世間から追放すべきなのだ・・・・。これらの現象が、日常生活を脅かす程度は低い・・・何故なら、多くの健全な大人らしい大人が、個々にそれなりに支えているからである。例えば、安眠を妨害する「暴走族」が、事故を起こすと、パジャマ姿の人々が、救急車を呼んでくれる・・・死なせてもいいのでは・・・と、呟いて、きつく叱られたこともある。

サッカーが、リトルリーグで子供達を、長時間(期間)かけて養成する・・・野球も、OBが各地で、少年野球を指導する・・・これは、アスリートの世界が、無理解な親から子供を引き離す作戦でもあると評する(好意的に)方もいるが、親の覚悟が先にあるのだと思う。しかし、親の覚悟が、「欲」に転じた時は、それなりの、無理解な親とのバトルは避けられないが、ほぼ永久追放になるのだと言う・・・・企業人も同じで無ければならないが、一つの「世界」に身を置く覚悟は、子供だけのものではない。親も、それ相当の覚悟が必要なのである・・・いや、子育ての「答え」が、其処にあるのだと、私は思う・・・教育評論家の甘ったるい評論に腹が立つ所以でもある。

野球には、「千本ノック」があり、個々人の、「殺人トレーニング」がある。サッカーでもラグビーでも例外ではないだろう。昨今、ハンドボールがクローズアップされるが、高校の体育の教師がハンドボールのアスリートだった。興味のないスポーツに汗を流すのは辛かったが・・・就職の為の「単位」の為に我慢した・・・その時の怒号が、「理」のあるものだったと理解したのは、危険な現場で、荒くれの男達と仕事をする時の「怒号」に重なったものである。

弟子の素行が修まらない時、近道は「破門」であろうと思う。そんな弟子を他の部屋が拾う制度があっても良いと思う。繰り返せば、相撲界から、実質的な永住追放になるだろうし、世間からも永久追放になるかも知れない。世間は、そんな人間を易々とは生かして置かないからである。
不肖の弟子でも、何とか一人前の人間に育てるのが・・・親が育てそこなった・・・相撲界の伝統であろう。ならば、そこに存在した「しごき」も伝統であると認める所から話が始まらなければならないと、私は思う。その伝統の中に「ゴルフの道具」が入るか、否か・・・私は、邪道だと思うし、その、安易な親方のマナーは批判されてしかるべきであろう。しかし、「躾」を排除する理由になるとは思わない。

街の中で、平凡に、甘ったれの子育てをしていると思しき婦人にマイクを向けて、今回事件の批判をさせる・・・他人の口を借りて、相撲界批判をするメディアの卑怯さ・・・何故、堂々と批判しないのか・・・芸人。教育評論家を万人の目に晒してきちんと評論させるべきではないのか・・・サッカーが、ピッチの中でも「ドレスコード」があることを知る人は存外に少ない。この夏・・・節電を理由に、公務員が、ドレスコードを無視する様子に抗議した文章を地域の広報誌に投稿した所、厳しい・・・論理怪しき・・・匿名の抗議電話を頂いた。

沖縄の「カリウシ」と、ドレスコードとは無関係に着用する、アロハ、ポロシャツ、ランニング等との区別がつかない方だった。「カリウシ」は、ドレスコードに叶ったものである事を御存じなかったのか・・・この程度の知識すら、己の常識に入っていない、50絡みの人間の浅ましさを思ったものだった。時流に乗った心算で、自分を見失う・・・私も、自戒を忘れない様にしたい・・・