放射能測定器がなければ、生きていけない日本!

昨日のNHK(地上波)・・・「食」を考える長時間番組。前半は、辻井喬こと、堤清二氏の出演で、上品な雰囲気で、内容も、今後の流通会の在り方を考えさせるものではあった。唯、司会の三宅casterは、このゲストを犯罪者に仕立てるつもりなのだろうか・・・と、思わせるものがあり、NHKの傲慢さの様な懸念が私には生れた。まぁ、しかし良識的の範囲内ではあった・・・と、私の判断。

しかし、後半がいけなかった。消費者(代表しているつもりなのだろう・・・)、一般人ゲストの発言が「異口同音」、大根の葉っぱ一枚一枚に亘るまで、残留放射能の測定を行い、その測定値を消費者に知らせよ!・・・と、言うもの。大義名分は、「子どもが心配」「子どもに食べさせたくない」と言うもの・・・原爆投下の広島、長崎でも、数十年間は草木の一本も生えないだろうと言われて・・・実は、翌年の春には、草も木も芽吹いた・・・そして、原爆を生き抜いた人々は、この街で生き、この街で、出産し、この街の復興に尽くしたのである。

放射能が無害だとは、言わない。しかし、まだまだ分からないことの多い分野だということは、認識すべきではないのか。測定値の、何処から何処までが安全なのか・・・しかし、安全とは、広域の概念であり、安心とは、個人的な感覚の問題である。この地域が安全である、これは安全である・・・とは、一定の測定値を「安全値」と設定すれば、「安全」と宣言することは出来る。しかし、それを疑うと、その安全値は意味を持たないものになる。つまり、自らが信じる「神」を地上に降ろせば、「神」の存在はなくなるのである。昨日の、科学者、政治家のゲストの説明と、一般人との問答が、ある意味「禅問答」になった原因でもある。しかし、私の感想は、少し違った所にあるものである。

福島の原発が爆発事故を起こした直後、各国の政府は、在日する国民に80キロ以上の圏外に去る様に、本国から訓令を発した・・・そして、日本政府は、これに反発し、巷の日本人も、外国政府の決断を非難した。しかし、彼方此方に現れる「ホットスポット」の様子からは、強ち、各国の政府訓令が不適切であるとは思えない状況が、今日にある。しかし、D・キーンさんの様に、積極的に、日本に住む事選び、帰化もした・・・日本人になって、入ヨークの生活を清算した人もいる。また、ボランティアでは、沢山の(数を知る由もない程)外国人が駆け付けた。特に、医療関係では、偏狭な医療関係者の意識が、救援を拒絶した例が、数多くあるらしい。チェルノブイリの時に、ソ連が、外国人の入国を拒否し、ゼネラル石油の当時の会長(名前は亡失)が、己が命を掛けて、イスラエルの医師を送りこみ、住民の治療に当らせた・・・それに続いたのが、日本の医師団だった・・・・。日本の、色々な分野の「組織」が、何故にこんなに偏狭、偏執なのか・・・私には分からない。農協もまた、格の如し。
話を戻す・・・結局、一般人が言っているのは、ユビキタス的に、測定器を配備しろ・・・と、言っているのである。そして、外国人観光客を増やして、景気向上の一助にしたい国民世論もある。勝手が良すぎるのである。「測定器」を持ち歩かないと、安全な食事が出来ない様な国に、観光客が来るはずもないだろう。「安心」は、個人のものである。「安心」だと、考えて来日している観光客の間で、「ハンバーガー」の中の野菜や肉の「シーベルト値」を確認する日本人がいるとすれば、観光客も、即刻離日するだろう・・・。

この話・・・国家防衛の感覚にも似ている・・・・「安心な国家」とは何か・・・・政府の政策を信じるか、自ら防衛の実態を理解して、安心しるか、安心しないか・・・個人の判断である。其処から、政府に、防衛費の増強を求める発言がうまれ、防衛費の削減の発言が生れる・・・国民対話の誕生である。
今回の原発事故に発する、原発必要論も、原発無用論も、己の「安心」の基準をきちんと定めて発言すべきなのである。

私の総括・・・多分に「曽野綾子調」になるが・・・「食べるものがある・・・」その安心をまず考えて、そこから議論を始めるべきである・・・とする。もし、都心の「食べ物」が危険なら、ホームレスの健康を調べてあげるのが早道だろう。彼らが、「体内被曝」で、街のあちこちに、その遺骸をさらすようなら、本当に危ない。安心して住めない街である。「子どもが危ない・・・」・・・子供が、大人と同じ量のものを食べるか、否か・・・別の検証方法があるだろう。

まずもって、屋台に食べ、ホルモンを楽しみ、生肉を味わい、そして、酒を飲み・・・夜を徹して麻雀に興じる。また、野球、サッカー・・・スタジアムに、ファーストフードを楽しむ・・・・その生活が、安穏と出来ていて、何が心配なのだ・・・・極論すれば、今生きている人間は、新たに誕生する人間のためのモルモットでもある。死して、貢献する覚悟があっても良いのではないか・・・・くり返す・・・食べ物があることに感謝をしよう!