曽野綾子を読む・・・・7

「揺れる大地に立ってー東日本大震災の個人的記録」から・・・
第7回
その22;;;;
排泄に関する習慣にしても、日本の子供はボウルと言われる腰掛式便器の上で、しかも、それがきちんと囲われた所でしか出来ないようになっている。野原で・・・「しゃがんでしなさい・・・」と言われても出来ない子供達が沢山いるらしい。
スーパー近くの空き地で、「立ちしょんべん」をしている御婦人がいたと、妻が呆れ顔で私に報告・・・確かに今時珍しい・・・スーパーのトイレまで我慢ができなかったのであろう。
私の祖母は、生きていれば「140歳」だが、所構わず・・・街中はさすがになかったが・・・「立ちしょん」だった。孫の私の目に不思議でもなんでもなかった。母も、少し田舎に、苗等を買いに行く時は、公衆便所もないころだから、「立ちしょん」だった。流石に、妹がやっているところを見た事もないが、一緒に育っている間に、そんな不便な所に妹を連れだしたことがなかったのではなかったか・・・いや、広島の田舎の墓参りに行った時、墓石の陰で用を足していた・・・確信はないが。
山歩きをしているころ、女性を連れていく事は、原則的にはなかった。女性連れの友人の案内をする時は、連れの面倒までは見ない・・・との条件だったが、12時間以上あるいていても、一度も、排泄を訴えることはなかったかと、思う・・・勿論、汗を出せば、排泄も少なくはなるが・・・しかし、男性は、数時間おきには、立ちしょんが必要だった。
この曽野綾子女史の心配は、余計なお世話の様な気もする・・・一度でも漏らしたりすれば、立ちしょんとの比較だから、出来る様になるのではないだろうか・・・そんなに、口角泡を飛ばして論じる程のことではないだろう。
その23;;;;
南三陸町が、イスラエル医師団の支援受け入れを(政府間で正式合意)合意したのは3月18日・・・大地震後8日も経ってからである。緊急に医師を必要としたのは、直後の数日であったろう。親切を受けるにも一種の腰の据わった人間性が要るのである。
人間の命は地球よりも重い・・・とは言うが、チェリノブイリの時も、医師団の到着が、大幅に遅れた・・・と言うより、ソ連政府は、どうして良いのかわからなかった・・・ゼネラル石油会長(当時)のハーマンが、己の命を掛けて、イスラエルの医師を密かに、ソ連領内に侵入させ、チェリノブイリの送りこんだ。スターリン治下だったら、不可能だったと、語ったと言う。政治体制に依っては、政治の方が、人間の命よりも重いのである。
政治に無知な私などは、政治とは、そんなに危弱なものかと思うのだが・・・国民の想像力の問題なのかも知れない・・・関東大震災の時も、すったもんだがあったと言うから・・・・緊急の命に、外国語の壁も低いとおもうのだが・・・苦しい表情に民族の違いがあるものでもないだろう・・・色々と批判したり、外国の介入を嫌がるのは、健康な人間であり、命の心配のない人間である事・・・我が事として自戒。
その24・・・・
宮城県に至っては、「海外医療支援に及び腰だった」。つまり、県の医療整備課に能力がなくて対応出来なかった様に読める。イスラエルの医療が、どれだけ高度なものかという知識も、もしかするとなかったのだろうし・・・
実は、自然科学の専門分野で使われる語彙は、私達人文学系分野の意思疎通に使われる多彩な言語の選択より、本来はずっと簡単なはずである。
災害時は、全てが特別な状態になる。病院は野戦病院の性格を帯びるのが自然だ・・・。重症患者は見捨て、生きられそうな患者や怪我人から、誰でも役に立ちそうな人と手段を使って救うのが、その現実だ・・・。
ここの知事は、自衛隊出身ではなかったか・・・言わば軍人である・・・その知事をもってして、曽野綾子にここまで言われるとは・・・自衛隊の“能力”を疑ってしまう。敵地で捕虜にした軍医に、自らの兵士の命を預けることもあるのではないのか・・・
自然科学への信頼の低さもあるのだろう・・・危機には殆ど役に経たない文系が、何かがあると上位に経とうとする・・・手はださずとも、手はだせずとも・・・哲学めいた、哲学ならぬ論理を振りまわして、問題を複雑にする。自然科学上の問題は、自然科学的に解決が可能だと言う論理が理解できていないのである。
災害対策でも・・・自然科学的知見に及ぶ事がらは、最初から「免責」を与えてしまって、何が優先し、何を見殺しにするのか・・・の判断が出来ないのである。
製造現場の災害は、どんなに酷いものでも、瞬時に片付く・・・文官が、その場にいないからである。しかし、その後の色々な会議では、その文官が、問題をややこしくして結論を遅らせる・・・そこにメール問題が起り、やらせが生れる・・・やらせをやらせなければ、問題は解決に近づかないからである。
今回、九電の諸報告も、具にもならない「第三者委員会」の報告に、見当に値するものがないことを指摘しているのではないか・・・知事の首だの、謝罪だの、社長の辞任だの・・・問題解決の途上にあるissueであるとは、私には思えない。

外国人医師は、診察に従事できない様にして、排除の論理を隠蔽しているのだろう・・・図らずも、国際認識の遅れを露呈しているに過ぎない・・・<今回はここまで・・・>