曽野綾子を読む・・・・8

「揺れる大地に立ってー東日本大震災の個人的記録」から・・・
第8回
その25;;;;
途上国の医療機関は、元々電気が無いか、あっても十分でないから、電気が切れた瞬間からすべての法規や組織は一時的に壊滅して、超法規的になる、その時に初めて・・・その人が人生で得た知識、体力、資質、訓練、心構え、判断力、信仰等が、「力」となって生きてくる。
・・・なのだが、失敗を恐れると、その能力の出し惜しみをする・・・いわゆる、悪なる謙遜という奴である。それでも、出しゃばりや、向こう見ずな提案や、剛腕な実行力を、少しでも尊重する態度があれば良いのだが、ニヒルに、その進行を見守り・・・行き詰ると、色々な御託をならべて批判する・・・これが、案外に、高齢者に多い。
避難所の中で、多くの人が「口をつぐみ・・・」、成り行きを見てから、独自の判断で動くのも、その警戒心なのである。最もいけないのは・・・例えば、手持ちの食料を出し合って、それを平等に分けて、この場を凌ぎましょう・・・との、御尤もな提案がなされる・・・その提案の主が、何処かに、密かに、食料を隠匿しておいて、集めた食料と合わせて、自らのgroupで分けて、口をつぐむ・・・ここに、曽野綾子氏が並べた、「力」の条件が、全て「悪知恵」となる・・・途上国なら、暴力的反抗も許されるだろうが・・・権力者にメディアまでを押さえられると、泣き寝入りしかない・・・・。その意味からは、外国からのボランティア、医師団、その他の救援派遣の方が信頼に足りるのではないか・・・。曽野綾子氏自身が、出掛ける途上国で信頼される所以でもあるのだろう・・・読みながら思った。
その26;;;;
非常時には、普段はしてはいけないことでも、していい・・・。緊急避難の方法としては、普段してはいけないことも行って自分を生かすべきだと・・・子供に教えておくべきだ・・・
相当に乱暴な発言だが・・・戦後の焼跡の子供達は、こうして生きて来たのである。焼跡の少年ならずとも、親類縁者の支援が得られない「引揚者」もまた、「してはいけない・・・」事を、「しながら・・・」、その命を繋いできたのである。植民地の文化的、知性的、理性を以っての生き方をしていたのでは、命は三日ともたない。高等女学校、そして、事務員としての青年期をテニス三昧に過した母も、そ30歳の女盛りを、ヨイトマケの人夫に、炭坑の坑外夫として石炭積み込みを、そして、笹山の開墾に汗を流し、闇米入手の情報に耳をそばだて、買出しでは、経済警察の目を潜って「葉タバコ」を入手、それを家族で、刻み、巻いて、父が友人の間に販売・・・闇焼酎に手を出していた数カ月もあった。10歳の長男の私は、ボタ山を這いずりまわる傍ら、石炭・貨車の石炭を失敬し、時に悪童共と共謀して、ホッパーのハンドルを回して、石炭をばら撒き・・・袋に詰めた・・・また、他人の庭の蜜柑や柿・・・我が庭の果物も同然だった・・・。植民地では、父の部下(朝鮮人・青年)や、オモニにかしずかれて育った私は、親から習わずとも、自然に身に付けたものである。偽名を使って「闇物資」を手に入れる・・・偽名は自分で考えねばならなかった・・・偽の住所も・・・。教科書を入れたカバン(兵士が使っていた、“ざつのう”と呼ばれていた)に、下校の途中で、母から命令された家に寄り、闇米を持って帰る・・・前方に目を凝らし、警察官の姿を認めれば、巧みに道を変える・・・そんな知恵は、教室では絶対に身に付かない。評論家・林 達夫が言うが如く・・・子供とは「悪人」なのである。その悪人になれないから、現代の子供の悩みは深くなる。
その27;;;;
生きるということは、必ず何か仕事を自分で見つけて、働くことだ。
・元気そうな老人夫妻が、避難所では、二人で個室を与えられた。とたんに、ゴロ寝をする様になった。ひきこもり勝ちになった。交流会にもイベントにも出てこなくなった。食事も、自分で運ばなくなった・・・上げ膳、据え膳・・・。
老人を精神的に殺す方法・・・被災者から働く喜びを奪う制度に行政が気がつかない不思議・・・
これもメディア・マスコミを怖れて、及び腰で高齢者に対峙する職員の瑕疵だろう。食べ物は自分で運べ・・・と、行政担当者が言えば・・・何人かの不埒な老人が、マスコミ・メディアに、「老人虐め・酷使・・・」と垂れこむのだろう。そして、理性もなく、不勉強な、そして、自分自身が、奉仕をされることしか知らないままに育っているとしたら、老人の元気よりも、精神的に殺す方法を優先させるのだろう・・・
地域の公民館で、自治会総会や老人の日の祝賀会等が開かれる・・履き物を入れる袋を入口で配布しろ・・・と、言い出したのは老人である。家を出る時、準備してくればいいじゃないか・・・電車。バスに乗ってくるのでもない・・・と、反論したら、「最近の若者は、敬老精神が欠けている・・・」と来た。
仮設住宅にも色々欠点はある・・・欠点があるから「仮設住宅」ではないか。新しいアイディアの仮設住宅が考案される・・・その新しい仮設住宅を目にして・・・行政の努力が足らないと言う・・・人間が、経験して学び、そこから新しいものを生みだすことが理解出来ないのであろう。仮設住宅の近くにスーパーがない、コンビニがない・・・ならば、自分たちで、手を尽くして呼び寄せればいいだろう・・・。老人とは、知恵と経験が詰まった「缶詰」の様なものではないのか・・・
<今回はここまで・・・>