曽野綾子を読む・・・・・9

「揺れる大地に立ってー東日本大震災の個人的記録」から・・・
第9回
その28;;;;
運命の不平等に馴れることを、現代の子供達は、全く学ばなかった・・・・
世の中に、非平等があり、差別があり、格差があること・・・それが、「貧しさ」を意識した時の、人間の特権ではないのか・・・氏の言う「貧しさ」とは、食べるべき「夕飯」がないこととは、そんなことではないのか・・・と私は思うのだが、西部邁は、その「大衆論」の中で、僅かな不平等ほど、大きな不平等に見え、僅かな不自由は、どうにもならない程に我が身を拘束するものである・・・と、言う。
そんなことを、わざわざ教えなければならないのだろうか・・・習って納得出来るものなのだろうか・・・また、絶対の不平等とは、どんな不平等なのだろうか・・・一個のパイを数人で切り分けて食べる・・・平等の条件を満たすのは、それを切り分けた人が、最後のひと切れを手にする時だと言う・・・つまり、平等にパイを切り分けることは不可能なのである・・・こんなことは、教えられるだろう。しかし、それを日常に遭遇する事どもに普遍化して教え、納得させ、自ら実行できる様にすることは、至難のことだろう。
この世を正しく生きた人も、しばしば不当な目に遭う・・・
曽野綾子の世界では、「神が、貴方を見込んで与えた試練だ・・・」と言うことになるのだろう。私の宗教・仏教では、「不昧因果、不落因果」の「心」で処理すべきことなのだと思う。私の試練は、私の過去・・・つまり、その蓄積された経験・知恵故に生じたものであろうからである。「因果」が分かっていても、そこに怨恨・被差別の感情があっては、問題の理解の妨げになるだけだろう。「因果」を超えた、己の知恵・知識の誕生を自ら促し、更なる工夫を楽しむことで、対処すべきなのである・・・その先には、更なる苦難が生れているはずである・・・それが、人間だと言うこと・・・「不当」は、存在しないと、曽野綾子は言いたいのだと、私は思う。
その29;;;;
放射能安全圏への避難・・・・「顔馴染みの人たちと一緒にいたい・・・・」。それが、原則として不可能になるのが、「災害」と言うものである。被害者が、何処に住んでも、水と電気には浴して暮らせる。同時に、強盗やレイプの恐怖は、一応考えずに生活できる・・・・そんな日本である。
曽野綾子は、彼女執筆した本の中に、繰り返しているフレーズである・・・つまり、そんな国は、世界に少ないのだと・・・世界的視野にたてば、「普通の事」ではないのだと・・・・。水かあれば、人々が安全に暮らせる条件がある。そして、電気があれば、幸せに暮らす条件の一つが備わっていることであると・・・
日本人は、旅先で犯した不始末には寛大である・・・つまり、旅先の人々に掛けた迷惑は考えない・・・そして、帰宅すると、「やっぱり此処(日本)が良い・・・」と、背中を伸ばし嘆息する。旅先に「欠点」を探す旅をしてどうするのだ・・・と、私などは言いたくなる。愚かな無駄である。
私の所に放射能が届けば、私の余命に、どんな影響があるか・・・明日にでも尽きるのか、5年、10年の余命を考えても良いのかと・・・直腸癌の余命を生きた私である・・・来年2月が満願・・・。余命が「1ヶ月」でも充分だろう。
昭和21年の5月に、日本海を小舟で脱出、一週間を漂流した・・・May−stormに遭遇することもなく・・・私の「運」の強さであった。乞食らしいこともした・・・公有の山を不法に開墾して食料を確保した・・・父と母の側で・・・、小さなバラックの資金の為に「ヤミ商売」もした・・・戦力は私だった。水と電気と米があったから可能だったのである。父の兄弟、母の兄弟に「膝」を屈することもなく・・・。
戦争も災害なら、敗戦も災害・・・・そいて、多少なりとも期待したであろう、同胞の救いの手から絶望だけを貰った時、それも災害だった・・・災害に対峙するには、それなりの覚悟が必要なのだが、それを支えるのは、其処に至るまでの時間に養った筈の「矜持」である。
「顔なじみ」の、外側に存在する人々も「仲間」なのである。新しい「絆」を作る仲間なのである。一つの「絆」の為に、もう一つの、いや、沢山の「絆」の潜在を否定すべきではない・・・新しい「絆」の誕生を喜ぶべきなのだと思う。
その30;;;;
「私達は、戦争の時、今でも何の補償ももらっていないんです。地震津波よりもっと酷い失い方をしたんですけどね。こういう場合、国家が補償するなんて何時から考える様になったんでしょうかね。」・・・と、これは、曽野綾子の近くにいる方の呟きだとか・・・曽野綾子は言う;時代が変わって補償が出来るなら、それに越したことはない・・・と。
それでも、曽野綾子の気になることとは・・・原発が出来てから後に、今回の退避圏内に移り住んで来た人と、それ以前から、そこにいる人とでは、当然、補償額に差をつけるべきだろう・・・と。そして、沖縄、空港周辺の補償問題を含めて・・・、当然起きるかも知れないことを予想出来ていなかったとして、補償を要求することは、不正である・・・と、言い切る。
私の父も、朝鮮総督府の「戦時国債」の全てが、紙屑になった。満州国の人々も同じだったはず・・・内地の「戦時国債」は、償還されたのだろうか・・・余り話題にならない。最も、貨幣価値が大きく没落したから、「損」どころの話ではなかったかもしれないが・・・。
シベリア抑留の方々への補償が、先日、数万円支払われた・・・シベリアでなくなった方の「軍人恩給」はどうなったのか。しかし、軍人でないままに、日本軍に徴用され、シベリアで亡くなった方、あるいは、学生身分のまま銃をもたされたり、学徒動員で、そのまま抑留された方は、全く無駄死にだったのだろう。
国民とは言っても、「一億火の玉」にはなれない・・・結局、時の政治の人気取り、あるいは政治体制維持の為の、「憐れみ」程度のものでしかない。
他人の「懐の財布」を穿鑿するのは、いずれにしても卑しい・・・私も、多くは語らない・・・
<今回はここまで・・・>