「木偶の坊」総理への応援歌


木偶の坊・総理・・・フランス・サミット20の風景。情けない気分にもならない己が、尚悲しい・・・「俺は愛国心を失っているのだろうか・・・」と。

これが、間接的ではあっても、我々が選んだ、自分の国の“宰相”なのだとの、自覚は持たねばならないだろう。また、それが、国民としての政治への責任なのだろうと思う。一つの「人財・人材」として観るならば、宰相として選んだ人物を超える国民はいない・・・その常識が悲しい。

あるいは、他所の国の事を、とやかくは言えない・・・そんな謙虚な気持ちもあるだろう・・・しかし、野田佳彦・個人としては兎も角、この国で政治に携わる限り、900兆を超える国債は、最終的には「踏み倒す・・・デフォルト」との暗黙の合意はあるのだろうから、野田総理が気にすることはないのだと、私は思う。木偶の坊の様に突っ立っていないで、もう少し元気に愉快に対話を楽しんで欲しいと、思う。

ギリシャにはギリシャの理由がある・・・日本には日本の理由があるように・・・少なくとも、ギリシャは、ドイツ、フランスの甘言に乗せられて、今日の状況を招いたのである。いや、招いたのではなく、ドイツ、フランスの政権の不安定が、生んだ「鬼子」でもあるだろう。納税を嫌い、納税を回避して日常の稼ぎで、生活を膨らませ、その尻拭いを国家に任せた「つけ」なのである。また、ドイツ、フランスは、その様な愚かなギリシャ国民の無知的大衆性を利用して稼いだだけの事である。せめて、現金主義で商売をしていれば、早い時期に、それなりの規制は掛かったはずである。

国民投票・・・もう少し、国民感情が冷静になった時期に行うべきだろうと・・・素人ながら私は思う。首相が身を引いたら、津波が退く様に鎮静化する日本人の様な資質をギリシャ国民は持っていないのではないか。それが、文化・文明を、世界に伝播させながら、自らは「生産」のないままに、存続した国家の異様性でもあるだろう。

野田総理が、ギリシャに助言するとすると・・・「デフォルトしなさいよ・・・後は、何とかなるよ!」とでも言うのだろうか。ドイツやフランスが、怒髪天を突く如くに怒っても、まさか軍隊を出動させることはあるまい。怖れるものはないのである・・・木偶の坊の論理とでも言うべきか・・・

そもそも、羊の遊牧で生きて来た国民が、生きる為に機械・生産的に発展させた国家の国民と同列になろうとすること、同列に扱うことが、そもそも間違っているのである。「鉄のカーテン」があってのギリシャに、国家としての存在価値はない。同じく、中国・朝鮮半島の政権に日本が屈した場合、日本国の存在理由はない・・・他山の石として、記憶に留めておくべきだろう。

恐らく、「国民投票」は回避されるのではないかと、私は読むのだが・・・次の“首相候補”が、「厳しさ」を国民に説明しながら、首相の首をすげ替えたように、国民の意識も替えることを、要求するだろう・・・騒いでいる国民も、挙げた拳の下ろし先が分からないのだろうから・・・それが理解できれば、一件落着となると、私は思う。

ただ、一部国民が豊かになり、多数の国民を貧困の中に置き去りにする・・・国民も、それで当面は満足・・・様な、政策が世界中に通用するのか、否か・・・胡錦濤の発言を聞きたいものだが、世界のメディアが相手にしなのか、これも、木偶の坊的な存在ではある。

問題の本質が、ギリシャを離れつつある・・と、私は観察する。今後の、EUの中の各国の政治手法・経済手法に変化が現れるのに、そう手間は要しないだろうが・・・暫くは、不景気を覚悟しなければなるまい。世界が、新しい「現実」の実現を模索しているのだから・・・・

安売りの続く日本・・・結局、勤労者・労働者の手取りを減らし、購買力を低下させ、企業の「社内留保」は、国債の購入に充てられる・・・それを当てにして、国家が国債販売を促進する・・・納税者が減少するのだから、企業が、国債と言う名目で「納税」しているのだと思えば、国債の「デフォルト」も、悪いことではない・・・いや、当然過ぎる程に当然である。ギリシャが苦しいのは、その企業が存在しないだけの話であり、本質は、ギリシャVS日本で、全く同じなのである。

言うなれば、安売りに歓声を上げる主婦と、ブランド店の開店に長蛇の列を作る、若者・・・若い主婦も多く含まれるだろう・・・が、国債発行の背中を押していると、言っても過言ではない。若者の失業率の高さが叫ばれても、スマホの販売に列を作り、ブランド店の開店に列を作るのは、その失業しているはずの「若者」ではないか。誰が、誰の心配をしているのか・・・・総理大臣が「木偶の坊」でもかまわない理由が、此処にある。