幼児虐待・・・撲滅の為に・・・・・

ある保育園利用者のアンケート・・・幼児虐待の母親を擁護する母親が、30%とか・・・つまり、私も、虐待をしそうになったと言う母親達である。福岡県内の保育園だと、私は推察した・・・が、全国的に同じ水準らしい・・・記事の内容から・・・・

高島平の高層アパートは、若い夫婦の憧れだった・・・その理由の一つが、姑、小姑との同居をしないで住む事への安心だった・・・・そして、この団地からは、その子供達が、親を残して出て行った・・・つまり、別の家族になったのである。故郷に両親を残して、喜び勇んで、この団地に入居し、今は、高齢になった自分達が遺された・・・特段に非難し、非難されることでもない・・・有るうべき現象の一つである。幼児虐待の恐怖に怯えているのは、高島平・新住民の孫の世代と言うべきか・・・・若い時の苦労を「買う」ことのなかった世代と、見ることも可能なのかも知れない・・・が、そもそも、「暴力行為」無くして子育てが出来ない自分を作ったのは、何時の時代でも、一つの「犯罪」だったのだと、私は思う。
私自身、父親からは何度か殴られた、暗くなっても、遊びに夢中で帰宅しない息子を、締め出す親も多かった・・・私も、何度も泣いて、許しを乞うたものである。叱られ強い子供を育てていたから、安心して叱ってもいたのだろうが・・・子だくさんの家庭では、「家出」をする子供も多かった・・・此処では話題の外だが・・・。

この国・民族の子育ては、「猫可愛がり」をしないことをその本文としたものであり、自由奔放に育てることは、育てられた子供の未来には、殆ど、例外を除いて「希望」はないことを意味したものであったのではなかったか。
江戸時代、小作以下の百姓の子供と、市中の長屋の子供は、特別な才能が発見されない限り、自由奔放に育ったが、殆ど父親のレベルを超えることはなかった・・・・しかし、武家の子弟、商家の子弟等は違った。3歳にもなれば、今日的な「塾」で、あるいは、先生を家に招いて教育が行われ、子供に遊ぶ時間は許されなかったと言う。
勿論、女の子は、音曲、舞踏、行儀・・・等が、そして、男の子には、論語を始めとする漢学の素読から高度な、哲学的理解まで、あるいは、数学などの特殊な学問、修練は、特別な師について学んだものだと言う。その目的は、商家なら、旗本へ・・・階層間の上昇指向・・・あるいは、名家の養子のチャンスを伺うものであったし、才能があれば、大店の番頭、手代への道、そして、養子を通じて、大店の旦那への道もあったのだと言う。
幕末・維新の時代の中で、草莽の人材が、決して、高碌を食む武士でもなく、伝統的名家の子弟でもなく、下級武士であり、百姓であり、町医者であった所以でもある。また、江戸末期まで存続した「藩」の多くが、世襲の子弟を廃して養子で、その家を継承した藩であったと言われる。
つまり、才能を発見し、発掘し、登用し・・・家系を維持するのは、人間の才能であるとの理念が先にあって、子供は育てられていたのだと、私は思う。言うなれば、親が駄目なら・・・他人から発掘されない限り、子供の才能は無駄に消えるだけ・・・・その環境が、近代化の進展の中で、いつの間にか、子供は教育すれば・・・との勘違いを生んで、今日にいたるのだろう。

つまり、親が己を育てる事なく、あるいは、己を育てる事なく「親」になった“親・・・私もその一人だが・・・”が、己の子供の未来に“幻想”を抱き、「躾」と称して、世間並みの子供の質を要求する・・・そして、その要求に近づかないのは、己の所為ではなく、子供の所為・・・努力の不足・・・だと、決めつけ、虐待と言う「躾」の行動に走っているのだと、私は観察する。その意味では、私自身も、忸怩たるもののなきにしもあらず・・・だから、「孫」が可愛いし、孫を虐待する祖父母は少ない。つまり、現在は、この年齢になるまでは、子育ての能力を有することが不可能である・・・と、言えなくもない。

自戒を含めて・・・子供を遊ばせる・・・遊ばせながら育てる・・・そんな伝統を持たない、習慣のない、我が民族の、大きな瑕疵なのである・・・西欧の近代思想が輸入されるまで、「公園」等と言うものは存在しなかった理由でもある。そして、若き母親を未熟者として扱い、その若き母親を育てた「母親」の助成を要求する矛盾が、其処に生れるのである・・・虐待が増加の傾向にはあっても、少なくならない理由である。

人は、「社交」の中で成長する。「学ぶ」動機も、本来は「社交」の中から生れるものである。その意味で、西欧の街に「公園・パブリックな場所としての・・・」が欠かせないことが納得出来る。「公園デビュー」なる言葉が喧伝されたのは、もう随分と前だが、其処には、自然に「人」に馴染む・・・己を、己の才覚で拡げていく環境は語られないかったのではないか。過剰なファッションの親子が話題になったのもむべなるかな・・・子供同士には、自然に会話・対話が生れるが、親同士は、お互いの観察に終始して、殆ど対話が生れない・・・と、嘆く、教育評論家もいた。
「公園レビュー」は、新しい文化だから、この国・市民に馴染むには、時間を要するのかな・・・公園もない団地に住みながら、そんなニュースを羨望の眼で見ていた私だったが・・・いつの間にか「死語」になっていたのではなかったか・・・平成3年から数年間単身赴任した房総の街では、実力政治家の力で出来た、沢山の立派な道路と共に、小さな公園、広大な公園があったが、殆ど人影がなく、雑草が茂っていた。
子供が、ゲームに熱中し始めていたのだろうか・・・「今の子供も、母親も、外には出てきませんよ・・・」と古老の呟きだった・・・つまり、隣家の子供の顔も知らない・・・地域差はあるだろうが、そんな言葉が、珍しく亡くなっていたのである。

私は、「教育」・・・に、虐待撲滅の希望を託す以外には方法はないのではないかと、考える。諸事について言えることだが、戦後教育・・・私も、その一人だが・・・は、大人になる「教育」を完全に放棄している・・・と、言うより、日本の教育の中に、「社会人・育成」の空気が存在したことがないのではないか。
先日の、東日本大震災の「被害保障請求書」の書式が難しい・・・と、苦情が出た。この種の申請書が簡単に書けるものであるとの認識が、教育における「社会人教育」の欠陥が生みだしているっものなのだと、私は断定する。「義務教育」とは、明日から「独り」になっても、社会人として行ける素養を身につけさせるもので無くて、「公費」を費やす意味が何処にあるのだろう・・・中学校を卒業すれば、15,6歳・・・母親になる、肉体的資格はある。父親になる体力もある・・・社会で学ぶ選択も可能なのである。いや、高校の定時制がどうのこうのと言う前に、一人前の大人として、社会に伍していける、知力と体力を有する「社会人」であるべき・・・これが、義務教育のコンセプトでなければならないだろう。高校進学にしても、大学進学にしても、これが前提でなければならない。定時制高校、時には定時制中学校の存在も、等しく、子供達に与えられる機会として、憲法に定められた「基本的人権」でなければならないのである。

高度経済成長の中で、漫然と生き、そして、その親に育てられた母親・父親世代に、精神的に幼い「親」に、子育ての助成を期待するのは、「ないものねだり」である。暫くは、公的監視を強化しながら、「教育の現場」の思想・哲学を、「大人育成」の基本問題として早急に改革すべきであろう。