泥鰌が逃げる・・・・何故逃げる・・・・

越年国会になるのかと思いきや・・・泥鰌が逃げた。
追い詰めると、虻蜂取らずになると、自民党に、それを追う気持ちはない。何となく「平和」だが、結局、「馬鹿なマスコミを黙らせ、国民をつんぼ桟敷に座らせておくには、この方法が最適・・・」と与野党の、暗黙の了解なのだろう。これで、野田・泥鰌も安穏と正月を迎えることができる。
野田総理の心中であろうし、民主党の面々の思いでもあるだろう。また、各議員のレベルでは、最後の、議員としての年末・お国入りになるのかも知れない・・・ゆっくり正月がしたいだろう・・・との、野田総理の親心・・・と、言う所か?

また、「仕分け」に、キナ臭いものが上がりだした・・・日本人の好きな、「談合」である。会議体、討論体が、いきなりの、何の予備知識もないままに衝突しては、得るものは少ない。事前に論点を整理したり、議論・討論の限界や範囲の合意を行うのは、生産的なことではある。九電のやらせメールに触発されてか、西日本新聞の扱いが大きい。記事無い様に「短絡的気分」を感じないでもないのだが、「結論は・・・・です」と、最初から終点を合意するのでは、議論・討論は無意味になり、時間の浪費に過ぎない。
蓮舫も入っていると言う、「仕分け」の事前討議・・・どの様に問題整理がなされたのか、仕分け人の意見が、真に仕分け人の意見だったのか・・・その当りの検証は明確にして欲しいし、各メディアも、詳細を報道すべきであろう。

また、これまでの「仕分け」の結果が、結果として「結果」の通りになっていないのは何故か・・・「仕分け」だけでは、どうにもならない隘路が奈辺にあって、それへの反省が行われているのか、否か・・・なし崩しで、仕分けの結果が雲散霧消している様では、政治への不信・無関心を助長する危険を孕んでいることになる。
知らしむべし、依らしむべし・・・とは、言うが、「名分」だけが独り歩きし、何処かで野垂れ死にしているのは寂しい。

自らが犠牲者になるかも知れない「選択」は常である。選択したのが親世代、祖父母世代ではあっても、それを無視して、説明会などで、やたらと、詰問調の大声を上げるのは不謹慎だが、メディアが、あたかも、それを「正義」であるが如くに報じるのも原因の一つであろう・・・大衆の見苦しさを強調するだけで・・・視聴率を挙げ、販売数を増やす効果はあるだろうが・・・問題の検証に藻、解決にもならない。

曽野綾子氏が、記す様に、先の大戦で無差別空襲に晒された人々は、一人も損害賠償をしていない・・・つまり、その様な対象になる大都市に住んだのは、自らの「選択」だったと、判断したのである。そして、義捐金は、その様な不満を和らげ、多少なりとも、被災者の癒しになれば・・・との、思いも籠っているはずのものであろう。その「義捐金」の行方が全く分からない・・・アフリカの国々では、援助のお金が、全く住民には渡らないと言う・・・途中の世話人のポケットに消えるのだそうである・・・ひょっとして「日本でも・・・?」と、疑いたくなる。

話が飛躍したが・・・その様な説明会、検討会の紛糾を避ける為に、シナリオを書く、そのシナリオ通りに、議事を運ぶ・・・玉虫色の結論であってみれば、全く効果のないものであり、全員に不満がのこるのも「むべなるかな・・・」。当然であろう。

もうそろそろ・・・世論が黙ってはいない。今回、西日本新聞の「仕分け・談合」の報道も、読者の投稿が押し寄せているのだろうと、私は想像する。読者の不満は、購読者の減に直接繋がるはずである。記事の内容が、その読者の要望に応えるものであるか・・・私は、応えていないのではないか・・・記事からは、記事が、論理を展開しているとは読みとれない・・・と、私は感じている。加えて、民主党支部支部長の、100万円近い無銭飲食が、報じられてもいる。

論理の「破れ」は、論理の裏に隠すものがあるからである。薔薇の枯れ枝を、ラップで包むと、彼方此方に「刺」が出て来る・・・何の為に包んだのか分からなくなる。包まなければ、一本づつ用心深く処理するのに・・・と、包んだ御仁への不満が募る・・・「仕分け」への不満も、似たものであろう・・・師走・三が日の課題かも知れない。