F35・次期戦闘機選定を論じる・・・・

F35
次期戦闘機の選定・・・「F35」に決まった様子。一機;100億円。"みのもんた"が、こんあものが必要なのか・・・と、論じていたが、ゲストに言葉はなかった・・・理由は?

最近は、なにかと、被災地復興が、いろいろな問題に対抗するものとして論じられる。「お前が、一食抜けば、被災地を、それだけ救える・・・」と、ある高校の教師が、教室で子供達に説いたとか・・・病院の待合室で話題になっていた。「そうだね・・・」と、元気そうな高齢のご婦人が納得していた。横で、健康そのものと見える男性が・・・「戦後の焼跡で飢えていた俺を救ったのは、アメリカだ・・・」と、二人とも、同棲代である。
つまり、「運命」を、どの様に甘受し、其処から、新たな「道」を探るか、トライするか・・・戦後の日本人・・・私世代の親達だが・・・この時代、少年の犯罪も多かったが、自殺も多かったのだと言う・・・比較すれば、大人の自殺は、比較的少なかったのでは・・・と、推察する先輩もいた。しかし、「家族心中、親子心中」が、頻繁に新聞にラジオに報じられていたのは、言うまでもない。そのニュースを、黙って聞いていた母の姿が目の底に残る・・・・。

話の方向を変える・・・・幕末、勝海舟は、討幕藩の戦艦の保有量を凌ぐ「戦艦保有量」を西郷に誇っていた。江戸会場の交渉の時も、海舟は、「江戸を焼くなら焼いてみろ・・・江戸の住民がいなくなって、薩摩藩の兵隊だけになった江戸に、江戸湾に浮かぶ軍艦から、あるだけの砲弾を、何の憂いもなく撃ち込んでやる・・・と、豪語したと、同席した幕臣の手記にあるそうだ。そして、こう加えたという・・・「菅軍は「銭(ぜに)」がないだろう。幕府は「銭」に不自由はしていないと・・・。事実、海舟の、その後の余生は、静岡に押し込められた幕臣の、生活救済に費やされたと言う。爵位を得たり、官位を得たり・・・維新に殆ど貢献しなかった福沢諭吉の「讒言」を、「毀誉褒貶は我が事にあらず・・・」と、相手にしなかった、海舟の誇りではあった。

かくして、幕府軍は、その軍艦の殆どを北海の海に葬り去った・・・・新政府は、「地税」と言う過酷な税金を「金納」させる政策で、政府高官の贅を尽くした生活・・・必要不可欠ではあったろう・・・と、軍艦、また武器の購入を賄った。日清・日露を闘った戦艦は、全部が外国製
イギリス、オランダ等)だった。日清戦争の賠償金「3億円(3億テール)」の内の、「1億円」は、八幡製鉄建造に使われ、ここから、日本の近代化が促進される・・・そして、戦艦「三笠」で闘った日露戦争の勝利(名目だが)では、賠償金が取れなかった・・・ルーズベルトも「取ってはならない・・・」と言い、朝河貫一も、アメリカで、強烈な反対キャンペーンを繰り返した・・・彼は、太平洋戦争中も、アメリカで活躍した、数少ない学者の一人である。余談だが・・・勝海舟は、中国や朝鮮に手を出すな・・・と、論じつつ、また、李鴻章との友情を温めつつ、幕末を生き、世紀末に、その生涯を閉じた。

この当時、軍艦1隻が如何ほどの価格か・・・私には、想像も出来ないし、計算も出来ない。しかし、昨今の最新鋭「戦闘機」に匹敵するものではあるだろう・・・と、推察する。つまり、今日の日本は、欧米列強の植民地時代の、大きなうねりに呑みこまれないために、大きな負担を強いられた、当時の「日本国民」によって在るのだということを忘れてはならないのである。

現実に、ロシア、中国は、その歴史的「拡張主義」のエートスを捨てきれない。周辺民族、国民と強調して生きるエートスを持ち合せていない、いわば、「非文明国」なのである。中国に至っては、「三国志」の時代を、今日の状況に載せても、何の違和感もない国家なのである。
その意味で、新鋭戦闘機が、日露戦争時の「三笠」に匹敵するものであると・・・再確認する必要があるのではないか。“にのもんた”は、我々をあざ笑うが如くに「年金問題」を論じる・・・また、最貧困者を論じる・・・時流に乗って稼いでいるだけの男として恥ずかしくないか・・・優越感に浸っている姿が、私には見える。

私は、日本人である。日本国家が消滅し、他の民族に隷属して生きることは望まない。否、強く否定する。この列島が、中国、ロシアにとって「垂涎の的」であることは、この列島が誕生して以来の歴史的事実である。百薬の長(薬)を求めて、幾多の、自称・仙人が、この列島を目指して渡来してきのか・・・その数は知れまい。
いま、我々が、僅かな贅沢を望んで、この国を滅ぼす道を歩く事は許されないだろう・・・アメリカの様な、ヨーロッパの様に、中東の民族の様に・・・残忍・虐殺の歴史を、この列島に住む民族・・・我々の祖先・・・は、刻んでいない。「渡来人」は、文明の使者として、手厚くお付き合いしながら、この列島に共生してきたのである。因みに、秀吉が、朝鮮半島から拉致同然に連れて来た朝鮮の技術者、文化人・・・決して褒められることではないが・・・数千人とも、数万人とも言われるが、徳川治世の間・・・帰国を希望する者があれば、帰国させるの政策であってにも関わらず、その当初に、数百人が帰国しただけだと言う。

恐らく、日本以外に、その様な「政策」を、歴史を通じて有する国家・民族は、日本以外には皆無であろう。明治の人々が守ろうとしたのは、その様な日本であったのであり、今日でも護る価値のある国家であると、私は信じる・・・一人である。

強く言えば、被災地の復興は、被災地の人々の価値観で、被災地の力で行われるべきである。そして、国家の中の、一つの地方としての存在の価値を高める努力がなされるべきであろう。歴史のなかでも、地震国、津波国の被災地は、それぞれの努力で復活してきたのであり、その被災が原因で国家を滅ぼす様なことはなかった・・・・国家は、国家として守りつつ、己の足下は、己で固める・・・それが、この列島に住み、この列島に国家を経営する我々の覚悟でなければならない・・・芸人キャスター、アンカーの軽口に乗せられて、国家を誤ってはならない・・・今朝の、怒りに燃える、私の感情ではある・・・。