「英雄、色を好む・・・」と言うこと

柔道の、「金メダリスト」・・・大学の客員教授・・・が、弟子の女性部員に“生的暴行”・・・つまり、ホテルに連れ込み“強姦”をしたと言うこと。「女性に問題無し・・・とはしない」と、そんな声も聞こえる。私も、最近の、女性・・・とりわけ、中学生、高校生、とりわけ、人間的分別が出来ていなければならない大学生の、ファッションとは言えない、生的アッピール的ファッションには、恐れをなしているのだが・・・「雄」の雄たる所以、「雌」の雌たる所以の常識が、教えれていない、自ら学ばせない「世相」に、類似の事件を納得して、見たり、聞いたりしていて、幼児や、小学生への暴行・強姦には、犯人を、即死刑にしたい程の怒りを感じることはあっても、件の、柔道部・女子部員への同情は薄い。

「雄」の雄たる所以、「雌」の雌たる所以については、詳述しない・・・顰蹙を買うこと、必至だから・・・。

「英雄、色を好む・・・」。今、韓国にかまびすしい「従軍慰安婦」も、「色街」の接待と、戦いの現地での、いわゆる「売春」、「買春」・・・そこに、存在したと言う、「強制連行」の因果関係を明確にしないままに・・・明確にすることは不可能だと、私も思うが・・・政策的・犯罪行為が喧伝されている。
ナポレオンのロシア遠征・・・正確な数字は思い出せないが・・・正規軍に倍する、いわゆる「売春婦」と、それを組織的に商売とする商人達が、随行したのだと、その記録にあるという。そして、ナポレオンを最後まで守った近衛兵の立派さも、同時に・・・その記録にあると言う。遠征に参加した「売春婦」の群れ・・・ナポレオンが募集したのでもなければ、許可したものでもない。自然膨張的に、軍隊の後ろから着いて来たものだと言う。
そんな存在だから、敗走の段階では、殆どが犠牲になったのでは・・・と、思いきや、素早く、ナポレオンの敗走を予感した彼等は、軍隊よりも先に、パリへの帰還を果たしたとも、歴史は語っているらしい・・・。

イラクに派遣された日本の自衛隊・・・称賛を浴びたのは、「女性」に関する、この種の問題が、微塵も発生しなかったことだと言う・・・他の国の軍隊(派遣された)の事は報じられないから分からないが、少なくとも、各国のメディアが称賛したとの記事を読んだのは、新聞の「外電」欄だったろうか・・・。

英雄、色を好む・・・についての、東西の差も、南北の差もないだろう。征服した王朝の美女を我がものにして、性的な行為で、満足を得るのは、洋の東西を問わず、古今を問わないものであった。しかし、英雄自身が、暴力的・強姦に及ぶものは、歴史にも残らない・・・戦場の犠牲者の一人に過ぎず、歴史の事実としては「無い」に等しい・・・しかし、現代の歴史は、それを許さない・・・現に、沖縄の米軍兵士の行為が、沖縄の人々の、激しい糾弾を受ける事実も、それを隠蔽しようつする米軍に、現代の、軍人・倫理への認識が不足するからである。
もし、現代の、日本の自衛隊が、アメリカの、例えばフロリダに駐留したとして、各の如き不祥事は、起り得ないだろうと・・・私は推察する。

従軍慰安婦」に関して、一言だけ追加すれば・・・従軍慰安婦は存在しても、そのれに組織として関わった、朝鮮側の人物も、日本側の人物も、姿を見せない(摘発できない)ことの不自然さが、何とも苛立たしい。しかし、昭和40年代・・・小さな酒場で、満州娘を強姦したの、朝鮮娘を凌辱したの・・・と、自慢する「男性」の姿があったことも、私の目、耳に確かな事である。
戦後、なには於いても、駐留米軍の為の「慰安所(性的)」を、創設した・・・後に「赤線」・・・日本政府の見識は、戦後も、違った戦争が続くと読んだ、誇らしい見識であったと言うべきだろう。

17日・西日本・こだま(投稿欄)に、金メダルのアスリートとして、あるまじき行為・・・との非難の投書が掲載されていた・・・「お説、ごもっとも・・・」なのだが、問題は、そんなことではなくて、“色を好む”英雄の日常が、その様な行為の「戦果」を自慢し合うことにあったのではないかと、疑うべきではないかと・・・このブログを書く気になった。
つまり、彼等にとっては、「金メダル」の栄誉よりも、金メダルの効果・・・俗に言えば、女性が靡いてくれる好感に・・・・に、アスリートとしての、訓練・鍛錬の価値を見出しているのではないか・・・と、言う事である。

かつて、日本の「男子バレー」を、世界的レベルにまで上げた、松平監督(当時)が、次の様にコメントしていたことを思い出す。つまり・・・・
「強くなれば、選手が変わります。つまり、弱者チームだったころは、遠征の道中で「エロ週刊誌」的なものばかり読んでいた選手が、強くなると、新聞を、しかも、一面記事をしっかりと読む様になります・・・」と。「教養」と言う言葉に、嫌悪感を露わにする御仁は多い・・・しかし、それが、世間・社会を粗暴にする要因になっていることに気が付く人は少ない。
スポーツは、「肉体的な哲学」であると、論じたアスリートがいたことを、遠い記憶に思い出す。県民栄誉賞、国民栄誉賞・・・私は、それなりに、子供達の励みになる・・・に、加えて・・・その成果を称賛する人々に、「哲学」を語る資格を与えるものであるだろう・・・と、思う。

「英雄・・・色を好む・・・」。これが「死語」となる様な、我々の「スポーツ観、アスリート観」も、我が身に確認すべきかも知れない・・・・。