お好み演芸会・・・劇場国家・・・小沢一郎・橋下 徹・・・・今朝の「時事放談」から・・・・


今朝の時事放談武村正義vs浜矩子・・・・二人の時は、対談が知性的で、あまり、政局の泥臭さを感じさせないので、楽しみにしていえうのだが、今朝も、浜矩子氏の毒舌爆発で楽しかった。

その1;小沢問題・・・浜氏曰く。マスコミが、面白がって報道するから、何時までも生きている。絶滅種・・・とは言わなかったが・・・何を言っても、報道しなければ、自然に消えていく存在だと・・・厳しい。つまり、百年同じことを言っているのだが、取材する人間が、格好の教材に使うから、その存在がある・・・これは、別の評論家の弁だったが、似た様なものだろう。
確かに、覚悟があるのか・・・あるいは、宮沢内閣を潰した時のエネルギーがあるのか、否か・・・武村氏は、「玉砕せよ!」と仰るのだが、玉砕する程のエネルギーは無いのではないか。党を割っても、付いて行くのは、「小魚」ばかり・・・谷亮子が、拳を突き上げても、負け犬の遠吠えにもならないのではないか・・・。
野田総理が、門責をされた閣僚、党役員の更迭を実施して、小沢派以外から登用できるか、否か・・・野田内閣の命運を判断する一因にはなるだろう・・・これは、普通の判断だろうが、私は、小沢派から、大量の脱落者が、閣僚の椅子を求めて出現するのではないか・・・と、その面白さを期待する。まだ、小沢総理に期待してる、仲間が存在するので、実現は薄いが、可能性としてないものでもないだろう。

その2;橋下 徹・・・これは「道化」だから、論評するに値しないと、私も思うのだが、武村氏が・・・浜氏に問う;浜さんなら、彼の主張を論破できますか?・・・と。浜氏の返事は・・・「出来ますよ・・・」と軽い。加えて、相手をするほどの価値もないでしょう・・・とは、冷たい。
つまり、同じ事を、大衆が喜ぶタイミングと、彼の語り・演説(とも言えない様な)に酔う大衆の前で叫ぶ・・・まさに、ポピュリズムの教科書の様な政治家であると・・・との評価が、お二人に重なる。
各政党の領袖が、橋下・詣でをするのは、大衆が安心するからだろう・・・とは、お二人の判断だと、私は理解した。江戸時代も、明治も、はたまた大正、昭和も同じだが、国民の大半は「大衆」である。そして、大衆を批判す論説を露わした著書は、この日本では売れない。オルテガしかり、西部邁しかり・・・随分前になるが、BSフジ・プライムニュースに、浜矩子、西部邁が、揃って出演・・・内容のある話で、とても面白かった。少し、残念だったのは、キャスターの二人が、典型的な「大衆」だから、お二人の話・主張・警告を殆ど理解していないらしいことだった。
もし、浜矩子と橋下徹の対談、論戦が実現したら・・・内容は詰まらないでも、聞いてみたいものだと思う。恐らく、「論点」を適当にはぐらかしながら、「論点」を渡り歩く事は不可能だろうと思うからである。
報復人事とは良い結果を生まないと、一般に言われる。河村・名古屋市長も、東国原・前宮崎県知事も、報復人事を行った形跡を聞かない。少なくとも、自らが、首長として、ある役割を果たしたい・・・その素地を作っているのは、現役の官僚であり、職員なのである。行政憎しの感情の票を集めて当選しても、その感情が、政治的に正当なものである保障はない。
武村氏が宣う如く・・・時代が閉そく的だから、この様な発言・マナーに人心があつまっているのだと・・・それに迎合することは、もし手持ちの「誇り」があるなら、それを捨てることであろう。

かつては、芸人知事が、鳴りもの入りで登場した。不祥事を引き起こしたのは、府政治の中身が見えて来た頃・・・二期目?・・・この芸人知事は、知事職に飽いてきたのだろう。あるいは、難問が、己が知性・理性では扱えないことに気が付いたのかもしれない。そして「雄」の本性を露わしたということだったのだろう。
「俺の様な人間を知事にする府民なら・・・程度は知れている・・・」との判断があったのかもしれない。しかし、府民も、其処までは低くはなかった・・・今回、橋下・新市長はともかく、新・府知事の力量にも、そんな判断があったのではないか・・・他の雄県の県民なら、こんな選択は絶対にしないだろう・・・今回の、大阪府大阪市の状況に羨望する、他府県、他市の市民・県民・府民が目している・・・軽蔑しているのかも知れない・・・様子に、私は判断する。

2012年・・・小沢一郎、橋下 徹・・・・二人の、脳の軽い政治家の去就が楽しみ・・・低迷する政治・経済の雰囲気の中の、貴重な「興味」の対象である。日本全土が、「お好み演芸会」・・・まさに、劇場政治の舞台である・・・そうなっては欲しくないのだが・・・。