金正日の後にくるもの・・・・


金正日死去・・・一国の宰相だから、その「死」は、ビッグニュースであることには違いない。しかし、その報道が、可なり礼を失したものでありながら、ステレオタイプであることは、如何に、仮想敵国の宰相ではあっても、可なりのところ、礼を失しているのではないか。特に、その国の国民に対して・・・平壌の市民に対してではなく・・・・。

もう一つは、我々は、「死者」に対する哀悼にも、近代的と言えば格好いが、余りにも自己中心過ぎるのではないだろうか・・・その善し悪しを論じるのではないが・・・と、思う所が私にはある。
大平総理が急死した時、私は、中国の研修生の、彼等の業務のアレンジと共に、日常的なお世話をしていた。大平首相が亡くなったことは、ニュースで知っていた・・・私にとっては、一つのニュースであり、身近な友人が亡くなったよりも、随分と軽いものでもあった。所が・・・である。朝、会議室に書類を届けると、全員が、私に哀悼の挨拶をし、目には、涙をたたえていた。吃驚したのは、言うまでもない。突然でも在ったし、日本側の事務所では、話題にすらなっていなかった・・・既に済んだこととして・・・のである。どぎまぎしたのは私、そして私の同僚、上司だった。そして、何事もなく、業務は開始された。しかし、仲間の、昼食時には、この話題で盛り上がった。そして、高齢の通訳さんに叱られた・・・・。7月7日の七夕にパーティーを計画して叱られtれ以来のことだった・・・こちらは、「無知」故の醜態だったのだが・・・。
勿論、外国に滞在して、その国家の宰相、重要人物の死に、哀悼の意を表すことは礼義ではあるだろう・・・あるいは「教養」とも・・・しかし、ハンカチで拭う程の涙は、少し過ぎるかな・・・と、思うのだが・・・。

北朝鮮・・・この国が何故に此処まで貧しいのか・・・日本は、韓国(朝鮮)を併合して、30年に渡る統治を行った。他民族に統治されることの悔しさは、あって当然であり、それへの抵抗・反抗・・・暴力的手段での・・・もあって当然である。
しかし、其処から、その要因がなんであれ、解放されてから、被統治国時よりも、民度が、長期に渡り低迷することを、全面的に加害者としての統治者の責任、恨みとすることは、その国家、国民にとって、不幸の極みを言わざるを得ない。

私の知識で言えば、日本本土の各都市が、激しい無差別空襲にさらされても、朝鮮の各都市は、殆ど空襲を受けていない。特に、興南を中心とした、「朝鮮窒素」は、無傷のままに、朝鮮当局に渡されたのである。私の父が、戦後に、かつての部下達の奔走で、再雇用されたのも、工場が健在だったのも、この故である。因みに・・・1945年時点で、北朝鮮は、東洋唯一の工業国だったのである・・・ソ連が、どの程度の略奪をしていたのか、想像は難しいが・・・日本人技術者も大勢残っていた時点での、生産(肥料)の可能性はあった・・・父は、そう語っていた。電力は、万全だったのだから・・・。
また、朝鮮戦争が始まった時、この興南の工場が如何なる状態になったのか、父も心配していた。私は、母校となる、西湖津小学校だったが、後日に、この地の資料で、その健在をしった。最後の住処になった社宅群も健在だと聞いた。やはり、私には故郷なのである。終戦の夏も、何時もの夏と同様に、田には、稲がたわわに実っていて、最後の夏となる、その夏を、いなごを追って過した記憶が蘇える・・・蜻蛉取りに夢中になる、私達兄弟に・・・「日本に全部持って帰るなよ!」と、朝鮮人のお爺さんが優しく声を掛けてくれたものである。
個人差はあるが、終戦時に、虜囚となった日本人が、苛められたのでもなければ、虐待されたり、身ぐるみ剥がれた分けでもない・・・但し、統治の当事者として、朝鮮人にないして辛く当らざるを得なかった人々を除いては・・・・。メンタイ(タラの一種か?)、毛蟹・・・等々、魚介類も豊富だった・・・勿論、朝鮮人には高価に過ぎたものではあったろう・・・今日で言う「メンタイ」を、造ったり、メンタイ魚の寒干したり・・・父の部下の妻(オモニ)達が、母の手伝いが済んだあと、抱えて帰路についていた風景が記憶にはある。母が空襲を避けて、預けた「着物」等も、殆ど無傷で、戦後に手にすることができた・・・ヤミ舟の費用を賄うに充分過ぎるほどだったと、母は、死の直前まで自慢していたが・・・決して、感謝はしていなかった。平均的な、傲慢な日本人だったと言う事である。
しかし、親族の病気見舞い・・・臨終が近いと・・・と、日本に一時帰国の間に、ソ連軍が進駐してきて、家財の全てを満州に失った方の、戦後12年を過ぎて、当時の小間使いの方が、「着物だけも・・・」と、送ってくれたと感激して語る女性も、私の身近にいる。
政治的報道の中で語られる如く・・・憎しみだけが残っているのでもないのである。基本的には、善良な市民・・・国民とは言わない・・・が、政治的判断、ニュース環境の中で、憎しみ合うジェスチャーを余儀なくされている・・・・拉致等・・・その必要性が私には全く理解できないのだが・・・も、政治的に解決が図られていたら・・・結果も違ったのではないか。被害者として考えれば、怒り心頭に達するのは当然であっても、それを政治的に利用したのではないか・・・双方の政治家が、歴史的に裁かれる日の近いことを望みたい・・・当事者の死がなければ、叶わないのであろうから・・・。

現・韓国には、かつての体制の中ではあっても、日本に住み、日本で学んだ要人が多い・・・現韓国大統領も・・・日本生れ(大阪)・・・4,5歳の時(1945年)に、韓国に密航・・・結構な苦労をして、今日がある。恐らく、戦後の父親の決心と選択と、その後の彼自身の選択と努力が、彼の政治手法の根幹をなすものであることは、言を俟たないであろう。
北朝鮮の要人に、日本生れ、あるいは教育を受けた要人が皆無であるらしいことも、拉致問題の解決を難しくしているのだろう・・・想像だが・・・しかし、父親、伯父と一緒に、日本海洋上に拉致され、労働界のNo.2まで上り詰めた人物が、拉致問題に関われない事情が、この問題解決の困難を示しているのだろう・・・その後の「話題」を聞かないが・・・母親が、息子も「拉致被害者」だとTVに喋っていた姿が目に浮かぶのだが・・・。
もし、健在なら、金正日亡き後に、朗報の糸口になるのだろうか・・・希望にすらならないのか・・・気になる所である。
韓流・時代劇ドラマ流にみれば、相当な「内部抗争」が、一つの決着を見ない限り、前進は難しいのかも知れない。しかし、この半島に存在した幾多の王朝はなべて、千年王国・・・つまり、該王朝を千年維持する・・・を夢見て、それを果たした王朝はない。言うならば、日本の「天皇家」だけが、この夢を果たして、いまも健在なのである。言い換えれば、千年王国の為には、「民主主義」が欠かせないと言うこと・・・・金正日亡き後の政権が、そこに気がつけば、東アジアの平和は近い。あとは、ロシアのひと騒動を高見の見物するだけでろう・・・・。