石碑の教訓・・・平成の教育・・・

3・11の悲劇・・・津波記念碑の教訓に従えば、犠牲者も半分如何だったのではなかったのだろうか・・・昨夜のNHKニュース、今朝の“みのもんた”に思ったものだった。
今回津波で、可なりの数の記念碑・・・警告碑と言うべきかもしれないが・・・が、倒壊したり、流失したりしているらしい。全部を回収して、後世への遺言とすべきだろう・・・その努力は、もう始まっているらしいことは、ニュースの陰に伺えるのが嬉しいのだが・・・少なくとも、今日の「初心」を忘れずに継続してほしい。そして、この列島各地の、この様な記念碑、警告碑の存在を確認する気分が広がることを願いたいものである。

先々日、NHK・21時のニュースに、「釜石の奇蹟」として、日常の訓練の成果が、放映されていた。具体的な小学校の名前はメモできなかったが、釜石の小学校である。私の危機間違いがなければ、3,000人の、小中学生が、全員避難をしたと言うニュース。それだけに、その陰で、両親や祖父母、兄弟や、親類縁者を失くした子供も多かったのだろうと想像する。勿論、孤児になった子供もいるのだろう。
この避難訓練を指導していたのが、群馬大学・大学院の「片田敏孝教授」・・・より高く、より遠くがモットーだと言う。しかも、身体に教えること・・・たまたま家に妹と二人でいる所に地震が発生・・・妹と、訓練の通りに、ペットボトルをリュックに詰めて、悲惨場所に駆け付けたと言う・・・当人の曰く・・・身体が自然に動いた・・・のだそうだ。訓練とは、此処までにならないと、訓練ではないのだろう。この子たちの両親、祖父母の消息はニュースの中では伝えられなかったが、語る表情が明るかったので、無事だったのだろう・・・と、推察した。

それに関連して、昨夜のニュースでは、被災地の「県」ではなかったが、各学科のカリキュラムの中で、事例を「津波地震」に倣いながら、避難の重要性を、日常的に教育しているのだと言う。勿論、身体で体験することも忘れない。可なりの距離の避難道路を走る、子供達の姿が、映像にはあった。数学、国語、社会、歴史、理科・・・全てに、地震津波からの避難を考える資源があると、担当の教師の弁だった。
しかも、それを、学校で、校外で、家で・・・そして遊んでいる場所で・・・子供達が自然に学ぶ習慣を身につける・・・教える機会も場所も、何処にでもあることを、この教師は強調していた。釜石の、教育に重なるものである。

そして、教授の言葉だったか?・・・教師の言葉だったか?・・・・・
10年間の時間の間に、子供達は大人になる。
そして・・・次の4年間で、親になる・・・常識を持った親に・・・・。
その常識とは・・・想定に囚われず、最善を尽くす・・・率先避難の思想であると・・・。

地域では、その「率先避難」を、一つの形で、実践・訓練している姿が、あった・・・
「率先避難者」を決めておき・・・定期的には、地域の人々に「避難を呼びかける・・・大声で」、そして、津波地震では、誰もが、「率先避難者」に倣う・・・と言うもの。声の大きな高齢者が適任だと言う・・・。

歴史に教訓があっても、それが、日常の話題になるか、急ぎ記憶から引き出すか・・・それがなければ、記憶は記憶の役には立たない。映像の時代、ITの時代・・・それを「情報」として役に立てる、避難の手段に利用できる・・・これが、「文明」の価値になった。祖先が経験・体験した教訓が、今日に生かせる時代・・・「文明」の価値である。今世紀、日本人が学んだ最大の財産であったと、私は考えるのだが、諸兄は如何?

この列島の各地に、津波地震に限らず、多くの教訓が残されているのではないか。埋もれている「石碑」があるなら、急ぎ、掘り起こしてみるべきだろう。先祖の知恵には、このITの時代だからこそ、生かせるものがある・・・言葉とは、文字とは、あるいは着想とは、なべて文明である。危険な文明でも、その危険を押さえる、防ぐ、或いは制御できれば、有効な手段足り得る・・・一時的な傲慢で無視するのは、先祖に対する冒涜であり、文明の対する反逆でもある。

この度発見された、再確認された「石碑の遺言」・・・私達に、忘れていたものを思い出せたことに、価値がある。また、私達に「謙虚」と言うことを教えてくれたとも言える。映像は、最大の財産である。ポルノ、猥褻に、子供達を誘う映像もある・・・しかし、それは、各自の理性で制御することが、一つの理性であろう。その上で、我々は、我々を救う、膨大な財産に守られて、生きていることを、再確認したいものである。