放駒親方・・・お疲れさまでした・・・

理事長に就任された時、「この人がいたのだ・・・」と、思った。私の周りの方々も、「そうだよな・・・」と、納得の表情だった。苦境に晒されても滅びない「組織」とは、この様な組織を言うのだろう。地域の団地、自治会などが、その組織の崩壊を危ぶむ雰囲気になると、あまり著名でもない、顔もあまり知られていない方が、会長に就任され、最初は危ぶむ声があっても、数年間を務めると、組織が静かになる・・・得難い人材なのだが、日を経ると、また忘れられる。
司馬遼太郎が言う・・・「ご先祖様」の様な存在ななのだろう。何時までも、「名」を残す人は、実は、毀誉褒貶がにぎにぎしく、実は、実効的なそれ程の実在感はないのだと言う。時間が建てば、「あの人が、あの時にいたから・・・」、そして、名前を思い出すのさえ難しい・・・事績だけが、歴史の中で、伝えられる。放駒親方とは、そんな存在なのだろう。

それも、大変な事件に対処される為の就任・そして、今回の定年による引退・・・己の社長職、会長職の任期を伸ばす為に、社・規約を改定する。時に、「法」を改訂する政治家も見え隠れする娑婆において、何と鮮やかな「姿」だろう。今朝の、爽やかなニュースだった。
改めて、「御苦労さまでした・・・お疲れさまでした・・・」と申し上げたい。
初場所で、何度も「満員御礼」が出たのは、せめてもの、親方へのファンの選別でもあったのかなと、改めて回想するひとりである。

わが家では、夕方4時半から5時の間が夕食である。相撲の期間は、本当に楽しい。ここ数場所、応援している力士が、「隆の山」、そして、「豊真将」・・・そして、「雅山」・・・勝った瞬間の表情が何とも嬉しそう・・・可愛らしい。
場所が終わると、何とも寂しい夕食になる。六場所制が、力士に負担を掛け過ぎているのではないかとの心配とは裏腹の感情なのだが・・・福岡場所の閑散とした様子が気になる。
福岡県人の「経済的・遊び心」の貧しさ以外のなにものでもない。特に、北九州の「文化的貧困」には、目を覆うものがある。大企業の城下街のなせるものか・・・格差を恨み、他を羨望する感情が強い・・・その為に、豊かな人の消費が進まない・・・と、かつて、この地の大学教授だったかたが、分析していた。博多ッ子は、それなりに遊び好きなのだが、大都市になった博多の街で少数派になってしまった。行事の場所は大きくなるので、勢い会場は寂しくなる。「屋台」の様な、寂しい、貧しい文化にばかり心が傾くのである。劇団四季の撤退も、原因はこの辺りにあるのだろう・・・と、私は分析している。

次の理事長の課題として、福岡場所の処遇を真剣に考えて頂きたい。博多に残せというのではない。福岡場所が、相撲界全体の足を引っ張らないための研究の事である。
ひとつは、福岡場所を、福岡に常設する必要があるのか・・・あの程度の入場者数で採算が合うのなら、もう少し小さな、簡素な会場を・・・場合によっては、仮設でもよい・・・・設営して、例えば、3・11の被災地に、数年間場所を移すことを考えても良いのではないか。また、場所数を減らして、巡業の、一場所の期間を長くして、相撲番付の対象とする・・・力士の真剣さが違うだろう・・・ことも考えて良いのではないか・・・素人考えなのかもしれないが、福岡場所の入りの不振が、相撲界全体を沈ませているとしたら、福岡県民として、誠に申し訳ないことだと思うからである。因みに、もっぱらTV観戦の私には、本場所は、東京・国技館の4場所だけで十分である。寧ろ、地方巡業の相撲に真剣さを加えて、TV中継してくれることを望みたい・・・。何としても、大相撲の衰退を、歌手や、お笑い芸人の力を借りなくても、食い止め、振興に転じる転機を望みたい。