国民背番号・・・・のこと。

国民背番号・・・・

今朝の朝刊の一面のtop・・・年金消滅以来復権したシステムだが、まだ実体はない。我々が、漢字文化に固執する限り、個人特定の技術は、これを置いてはあり得ないと思うのだが、左翼の思想家や、労働組合、教職員組合等の猛烈な反対は、今日も予想されるのだろう。当時、自民党政権下で、自民党厚生大臣の責任を追及していた、長妻議員も、遂に、「総背番号」については触れなかった。責任は追及したが、この不祥事を防止する対策の「代案」は、口にできなかった・・・何故なら、建物も出来、computerを導入する直前で、社会党共産党の猛烈な反対で、多少屋台骨が傾いていた、当時の自民党政権で、強行は出来なかったからだと、記憶する。

街のcounterでも話題になり、市役所の労組員と、大論争を毎晩闘わせていた記憶が蘇える。かれらは、「国民総背番号」=「徴兵制度の復活」という怪しげな理念を吹聴していたが、中身は、無知蒙昧の組合。左翼理念への固執でしかなかった・・・。我々は、おちょくっていたのだが、彼等は、真剣に反論していた・・・その姿は可愛らしいものではあったが・・・滑稽でもあった。

「何でも反対・・・」その傾向は、日本の左翼の特徴でもあるのだと言う識者もいるが、最近の左翼は、結構日和見的なものを感じないでもない。硬派を装いながら、柔軟な総理大臣をして「風見鶏」とmediaは称していたが、私の目には、mediaの方が、今日でも余程「風見鶏」である。
恐らく、現在も、「国民背番号制」の必要性を論じないのは・・・当時の社会党系の民主党議員の存在ではないかと疑うのだが・・・年金改革のtempoに遅れない様に制度を整備すべきではないかと、私は考える。私の寿命からは、お節介にもなるのだが・・・。
「誤ちを繰り返しえてはならない・・・!」
「個人情報・・・」と言うと、何かと、国家からの・・・権力とも言うが・・・の干渉を問題にする向きが多いが・・・巷の似非・知識階級に・・・国家に干渉する時の、身分を隠したいがためであり、我が身を隠してimpactのある発言も存在しないことを忘却している。国家権力から独立していると言うことは、己を「個人」として、国家に認めさせて可能なことなのであり、物陰に隠れて、声だけ出すのは、物置の鼠程の価値しかないと、任ずるべきであろう。