お金と世代・・・・大衆と庶民と・・・・

今朝のワイドショー・・・「お金を使う世代;A」、「お金の掛かる世代;B」があるのだそうだ。私は、「お金を貯め込む世代;D」があって、これが、現今の最大の、政治・経済の「癌」になっているのではないかと思う。

人口減、それに伴う高齢化・・・これは、裏腹のものである。そして、それが「豊かさ」に発するものであることも・・・・但し、この「豊かさ」は、ケチな根性に基づき、人々をして、ケチな根性を育てているものでもある。
例えば、高級レストランで、美しく料理された、まぎれのない「肉」を堪能し、静かにして楽しい団欒に過すのか、スズメが囀るが如き、内容のないお喋りや、他人の噂に、騒がしく終始するのか・・・肉料理をあじあうこともなく・・・つまり、「安い」ものを食べた満足感で満足するのか・・・
他の客が食べ残したものを食べさせられても気がつかない己の「舌」を反省することもなく、mediaの報道に同調して、悲憤慷慨する己を正常だと満足する・・・御仁達・・・現今の経済が、斯様な状況にあることを、我々は一先ず認めなければならない。
将来・未来の展望に期待するにしても、危惧するにしても、其処には、それに相応しい、知性、理性が存在していなければならない・・・偽物に騙されても、「安い」ものを求める感情のままに、未来を求め、将来を展望しても、其処には、貧しい現今の状況が再現するだけであろう。1Kgの偽物より、1gの本物を求める、あるいは、臥薪嘗胆・・・1gの本物を求める現在を大事に生きる精神が求められねばならいないのである。

今、「お金を使う世代;A」は、私の目には、非常に節度ある世代だと見える・・・学歴も上がり、それなりの教育効果で、知性も理性も、私世代よりも、遥かに向上しているのだと、私は思う。つまり、私の様な、「お金の掛かる世代:B」から見れば、先行き不安だろうな・・・と、我が身を脇に置いて心配なのだが、彼らが、その不安をdemoの如き行動に表現することもない。全く無能に見えても可笑しくない政治家に暴力的に振舞うこともない。あるいは、暗殺、テロに走る気配もない。寧ろ、先の3・11被災地へのvolunteerに汗する若者が多い。何故、日本の若者は、かくもおとなしいのか、気持ちを発散させないのか・・・不思議ではあるのだが・・・まだ、前世代の経済力・・・貧困的資質ではあるのだが・・・に支えられている部分があるのだろうか・・・しかし、親の懐を当てにしてクルマが買える、家が買える・・・もうそんな時代は終わっているのではないか。若者の「クルマ離れ」も、その様な経済的変化・事情が絡んでいると考えるのが妥当だろう。

問題は、「お金の掛かる世代」と「お金貯め込む世代;D」である。預貯金通帳を持って火葬場に行く世代といってもいいだろう。私の様に、後幾ばくもない父親に、遺産(と、言えるほどのものでもないのだが・・・分からないと兄弟の紛争を惹起する、あるいは、有ら邪推を生む・・・)の公開を求める人間も少ないと思うが、それは、それまで過して来た時間の信頼でもあるだろう。

「お金の掛かる世代」・・・この世代が、若い世代の干渉を排除しようとすれば、税金を沢山負担すべきなのである。「お金を貯め込む世代」を撲滅すべきであろう。隠しに隠した遺産が、死後に発覚する・・・恐らく、血肉を争う愁嘆場が実現するだろう・・・その場を目にして楽しむことすら出来ないのである。その意味では、一定年齢過ぎた人の預貯金からは、預かり料を徴収すべきであろうと私は考える。70歳では早すぎかもしれないが、か85歳か、はたまた90歳以上・・・が良いか・・・少なくとも、日々預貯金額が目に見えて減少する程の「預かり料金」が良いだろう。それを、「介護保険の財源」とすれば、介護士の報酬のUPも可能になるかもしれない。

藻谷浩介氏の、主張に沿うものであると、私は思う。国民当りのGDPは「世界2位」、中国の10倍である。その国の国民が、何故に日々「貧乏感」に苛まれ、未来に絶望しなければならないのか。富(GDP)を公平に分配することは不可能である・・・今日でも、知恵足らずの社会主義者が存在するが・・・。そして、経済とは、「財」を流通させることなのである。
生産を多少でも飛躍させようとすれば、「蓄え」あるいは「投資」は避けられない・・・必要不可欠・・・である。その狭間で、「貯め込む」ことが、犯罪なのである。他人のみならず、親族・家族すらも貧困の場に追い込みながら、日々、預貯金通帳や、株券・国債を眺めて、満足に浸る・・・まさに国賊なのである。本来ならば、斯様な人物が貯め込んだ財に相当する「物価の上昇」があれば、可なりの所、その弊害も吸収されると、私は思うのだが、そこに被害者の生じるのは避けられない・・・それを救うのが政治なのだが、救おうとすると、貧乏人同志で足を引っ張り合い、騒乱にも拡大する。
「宵越しの金は持たない・・・」、この、江戸っ子のエートス・・・これが、江戸の元禄を誕生させ、文化・文明を支え、明治を準備したのである。武蔵野の地に、全国の大名から「金」を出させ、金が出せないなら汗をかかせて行った大改造・・・プラタモリに楽しんでいるが・・・この公共投資の精神がなければならない・・・また、それを楽しむ庶民がいなければならない。

聖武天皇の「国分寺」の全国配備。奈良の大仏建立・・・遠くはピラミッド、万里の長城も、すべて、民生安定の公共投資だったことを、我々も再確認する必要がある。そして、その時代背景には、「為過ぎた財(お金)」を吐き出させる強力な権力が存在したと言うことを・・・現今の「権力」は大衆である。残念ながら理性・理念に欠ける大衆に、この古代の権力が有した、理性・理念を期待する事は難しい。大衆自身が、一人でも多く、「庶民」となるべきなのである。
さしずめ、「「金の掛かる世代」と重なる「金を貯め込む世代」の覚醒を待つか、その死滅を待つか・・・何れにしても、その後に続く世代が、「同じ轍」を踏まないこと・・・私は、期待したい。