今朝も豪雪ニュースに・・・・

この豪雪・・・これが、昨年の「3・11」に見舞われたら・・・と、TVの中でも、地元の方が呟いていた・・・むべなるかな、同感である。しかし、この豪雪の季節が終り、雪が消えれば、また、日常が戻ってくるのだろう・・・な。多少やるせない思いがなくもない。

非常時とは・・・「常時」の時にこそ、「非常時」を考えなければならないことは、色々な言葉で語り継がれるけれども、余り効果を発揮する話は聞いたことがない。また、あるべくして生じなかった「難」への関心の薄さもあるだろう・・・何しろ、会ったこともない、「ご先祖様」の知恵で残されたものであることも多いのだろうから・・・問題は、御先祖様が、どれ程の犠牲を繰り返し、あるは、どれ程の「命」を犠牲にして・・・今(の安穏)があるのかを語り継ぐ努力も見直されるべきだろう。豪雪の中の「岩盤浴」・・・未だかって発生したことはない・・と、地元の旅館関係の方は仰るが、果たしてそうか。客のいない時の生じた「雪崩」も小規模なら、見のがされているのだろう。あれだけ鄙びた温泉地なら、豪雪では近づけないこともあるだろうし、あの雪の中を、歩いて岩盤浴に出掛ける客も少ないだろうから・・・雪崩の予兆を全て把握することは不可能と考えるのが妥当だろう。「乱にいて、常を考える・・・」・・・見逃しがちな理性ではある。

この豪雪をTVに見ながら、北朝鮮興南の冬を追憶している。記憶に鮮明なのは、7歳〜9歳頃だろうか・・・雪が降ると・・・通学路や、家の前の道路の、雪の高さが記憶にある。子供の私の背丈以上はあったし、興南の配給所の前を貫通する道路の脇には、大人達が・・・と言っても、朝鮮人労働者を駆使してのことだろうが・・・二階建ての社宅の軒下に、スキーを楽しむ子供が滑り込まない様に、「雪の土手」を築いてくれていた光景が鮮明である。二階屋根の軒からは、大木の様な「つらら」が下がっていた。道路は、格好のゲレンデだったのである。
戦後の冬は、この道路の傍に「社宅」をあてがわれていたので、仲良くなった朝鮮人の子供と、橇を楽しんだ・・・生涯で最も楽しい冬になった。スキーは、敗戦まで住んでいた、北柳亭里の社員社宅に残したので・・・。余談だった。
その社員社宅には、後には「防空壕」になる、「壕」が作られていて、祖母が、庭で造った野菜が、冬の野菜として冷凍保管されていた・・・完全な冷凍ではなかったと、思うが、冬でも、朝鮮人達は、野菜を売りにきてと言うから、何らかの手段で、彼等も保存して「商売」のタネにしたのだろうと、今に思う。年配の方には、もっと鮮明な記憶をお持ちのかたもいるのだろう。
半ば、非常食も兼ねていたのだろうか・・・冷凍乾燥させた、烏賊(するめ)やメンタイ、そして、何故か「炒り豆(大豆)」が、密封した缶に、可なり大量に保管されていた・・・お目当ては、この「炒り豆」・・・忍びこんでは、摘まみ食いをするのが楽しみだった。

今年、豪雪地で、日常の買物に苦労している様子や、買物の為の除雪の苦労がニュースになっている。恐らく、かつては、豪雪に食料を保存する「知恵」も存在したのだと思うし、地域の特産品、土産品の中に、それを思わせるものが存在しても、現実の豪雪に備える「知恵」は、耐えたのだろうか。自然の美しさを喧伝し、大事さを訴えても、この豪雪に耐える「知恵」を喪失してしまっては、単なる「僻地」に、その価値を貶めていることにならないか・・・ご意見を伺いたいものである。

更に言えば、今、40歳、50歳、60歳・・・この方々が70歳、80歳を超える頃には、殆ど、この地域は、人が住めない地域になるのではないかという危惧である。もっとも、住めなくなれば、荒れ地になるだけだろうが、そうなって諦める直前の悲惨な状況は、想像に難くない。地球の、人類滅亡の様相を思わせるものがあるのではないか・・・私の妄想とは言い切れないものがあるのではないだろうか・・・。つまり、若者が、故郷をすて、高齢になって還って来る・・・そんなことで「人跡」が消えることは避けられても、その時の状況は「悲惨」の一言に尽きるだろう。

しかも、働き盛りの「納税」は、都市の為に、国の為に使われても、この地域に使われるものは僅かであろう。地域への納税は、収入が無くなった人々だけが住むのであれば、その悲惨さも想像に難くない。年金すらままならない「税」の制度の不安・・・その解消に多少でも役立つシステムの創出を真面目に、真剣に考えさせてくれる、今回の豪雪であるべきではないか。

少なくとも、住環境のcostを、豪雪の処理のcost削減として考え、豪雪でも、「命」への影響を最小限に抑え、医療への安心を確保するには、自分達が、如何なる「住み方」をすればよいか・・・今、高齢の自分達には間に合わないまでも、「知恵」だけは残すべきだろう。少子化、都会化させた子供達、孫達・・・田舎をノスタルジーの対象としてのみ考える時期は終わった。それでは、地方の財政の破綻を招くだけなのである。自分達の「住み方、生き方」を変えることで、地方財政の破綻を避け・・・良き、故郷を、少しでも残す・・・豪雪の中で、しっかり考えるべきだろう。それが、本来の、豪雪に耐える人々の生き方であろうし、また、美しさ、強さ、賢さであろうと、私は思う。そうして、美しい「東北・豪雪」が財産として残されるのである・・・季節限定の「世界遺産」として、世界に誇る地域になって欲しい・・・励ましである。