死者・1200人・・・「雪害だ・・・!!!」

どうしてこんなにも・・・昨日今日に人が住み始めたのでもなかろう。御先祖様は、如何様に生きて来たのか、生活して来たのか・・・雪に対抗するだけの「文明」がないものでもないだろう。あるいは、逃げる所がないものでもないだろう。鉄砲水や、急激な増水い依る川の氾濫でもあるまい。天気予報で、「雪」の量を推定することも出来る。鉄砲水、川の氾濫も、逃げることで、犠牲をすくなくする事が出来る。皆無もないものでもない。ゲリラ豪雨でさえ、犠牲を避けることが可能な、昨今の文明であり、技術である。技術と聞くとallergyを発する、現代文明人の性癖なのか。

最も、悲惨なのは、田舎に、高齢の両親を置き、雪とは無縁の地方で生活しながら、「大雪」のnewsにすら無関心になっている子供世代の残酷さである。祖父母の家に遊びに出掛けて孫二人が、祖父母の家の・・・両親のどちらかが、あるいは両方が・・・過した家であったろう。その家の軒下で、屋根からずり落ちた雪の下で「死亡」・・・何たることか・・・と。勿論、両親、祖父母の嘆きの深さは計り得ないものがあるが・・・油断と言うには、余りにも重大な、親、祖父母の過失であろう。

地球温暖化で、「雪」が降らないと思っているのか・・・現代人は・・・。しかし、天気予報士が、もれなく、温暖化の影響故の「大雪」を、その予報の中に語っている。

地球温暖化で、豪雪地帯に高齢の両親を取り残して、何の心配もないと思っているのか・・・豪雪予報に。。。「早く故郷に、親元に帰郷して、雪おろしの準備をしなさい・・・」と、その予報の中で呼び掛けるべきではないか。Newsを見ていると、高齢者の家の屋根の雪を、高齢者が下ろしている・・・ここにも「老老介護」の実態がある。

豪雪地帯に住めなくなった人々への政策・・・負担すべきは負担し、手放すべき財は手放す・・・ことも含めて、住民自身が、両親を残している子供達、孫達が、まず考えるべきであろう。その上で、政策として政府・行政に、その方法を提案する・・・「引き受けて考える・・・宮台真司・・・」と、言うことだろう。

個人の「財」は、原則として個人の力で守られるべきであり、況や、其処に住む意志も気持ちも無く、親の死による、遺産の相続だけを目的に、両親を独居老人(親)を住まわせる、非人道的な家族・親族の状況を改めるべきであろう。議員定数・減、議員歳費の値下げ、国家・地方公務員の報酬引き下げ・・・しかし、荒廃した地帯・・・豪雪地帯、土砂崩れ地帯、洪水頻発地帯、等々・・・への、行政負担、あるいは、救助に使われる財政負担、あるいは、一人の為に道路のmaintenanceが行われ、救急車が走らねばならない現実・・・国民が、国民の責任で考えるべきではないか。

1Seasonに、今の所「1,200人」・・・まだまだ増えるだろう。これでいいのか・・・雪も水も、また自身も、台風も、鉄砲水も、ゲリラ豪雨も・・・其処に住み、生活する必然性を個々人が、個々人の責任で考えるべきだろう。まだまだ、雪が続くと言う・・・この被害・犠牲が何処まで続くのか、悲報がnewsになるのか・・・今年限りと言うものでもあるまい。
国会で、話題にもならないのは・・・日本社会が「大衆社会」であり、政治が、「大衆政治」に堕しているからであろう。犠牲になれば、保証金が貰える・・・その為に、其処に住む・・・そんな哲学もあるのだとか・・・政治を我が身に引き受けて考えない日常の卑しさ・・・悲報はまだまだ続くのだろう。