「反対」という過去の払拭とは・・・

立場が異なれば、それが内容的なものであっても、名目の立場であっても・・・「反対」せざるを得ないこともある。しかし、その対象を理解しない、理解しようとはしないことであってはならないのが原則である。一寸の虫も5分の魂・・・認めるべきところは認めて、尚かつ反対する。しかし、多数決で決まれば、従う・・・・しかし、反対された方が、それを、反対された時点で引っ込めれば、それは引っ込めた方の責任であろう。

「年金の一本化」・・・これは、戦後の状況の中で誕生した「年金制度」が、背負っている「業」でもあるだろう・・・特に、戦後の公務員の不幸は、「法」に依ってその立場があり、保障されている立場に由来するものである。敗戦に依って「日本」が消滅したのなら、話は早かったかもしれないが、旧憲法下で、あるいは、関連する「法制度」の下で、日本は存続したのである。因みに、復員兵への軍人恩給(?)の支払いで、膨張した「貨幣乱発」で、物価が高騰・・・それを押さえる為に、「新円」の発行・・・そして、所帯主:500円、扶養家族:300円を残して、残は、強制預金・・・つまり「預金封鎖」で、一先ずの物価高騰を抑えた・・・物価の上昇は続くが、経済を混乱させるものでもなかったし、国民生活を破壊するものでもなかった・・・のも、残存した日本政府の法体系が健全だった故である。

昭和23年と記憶するが・・・後ほど資料を調べる・・・国家公務員、地方公務員の給料が改訂された・・・
閑話休題・・・私の父は、昭和21年の年末の新聞広告に載った、「刑務官募集」に応募して、刑務官になったのだが・・・当時、最も不足していたのが「教師」だった・・・特に男性教師・・・と、私は聞いた。傾斜生産に湧く「炭坑、鉄鋼などの基幹産業」に、人材が流れた故である・・・法が改訂されない限り、報酬は戦前の据え置きなのだから・・・・。ど近眼、酷い吃音、身長は5尺に足らず、体重は50キロに満たない・・・そんな父が「刑務官」に・・・一昼夜勤務に疲れて帰宅する父を、母が、優しく扱っていた様子が、今に、目に浮かぶ・・・当時は母の「ヤミ」や買出しが家族を支えていたが・・・「父さんが役に立つ日が、直ぐに来る・・・」と、母の口癖だった。その父は、肉体的handicapを、「昇進」に懸けて、日々、子供達の眠る枕元で、未知の世界だった「刑務官」の世界を学び始めていた。副看守長になったのは、3,4年後、そして看守長・・・「法務府事務官」を拝命したのは、看守を拝命してから、10年は経ていなかった。職業に憧れたのではない・・・つまり、長男の私の大学進学は諦めたが、妹と弟の大学進学の、己の誇りに懸けたのだと、私は思う。しかし、不法占拠の土地に建てた不法建築の家を脱することは、私が、27歳で家を持つまでは叶わなかった・・・二年毎の転勤・単身赴任の条件が許さなかったこともある。
それでも、昭和30二年に、八幡製鉄に、高卒社員として入社した時に提出した、「家族届け」の父の俸給の額を見て、労務主任が言ったものである・・・「こんな給料で、家族五人が生活できるのか・・・」と。
公務員には、「恩給」制度があり、戦前に置いても恵まれていた面はあったのだろうと、私は思う。しかし、敗戦直後の、瞬間的な「突風」に対処するために改訂された「法」の下に、今日の公務員の待遇があると、冷静に考えて、次のstepが議論されないと、空論のやりとりに終わってしまうことになりかねない。
ギリシャ財政破綻も、公務員の優遇の行きすぎが放置された結果だと、論者は論じる。日本の公務員は、基本的には「専従」である。アルバイトも許されていない。ギリシャのタクシー運転手の半分は公務員・・・教師、警官等・・・だと言う。源泉・天引き徴収ではないだろうから、公然と脱税もかのうであろう。日本では、40%のみが、税金を納めている・・・似た様な現実なのである。
問題は此処から・・・・
自民党政権下で、年金の一本化の法整備が行われる機運があり、当時野党の民主党にも、法案が提示されたと言うが、民主党の反対でお蔵入りとなった経緯があるそうである。「公労協」の反対であったのだろう。構成員の知的レベルが高い、公労協、日教組等、公務員関係の労働組合員に、Noblesse obligeの精神が不足している・・・「公僕」の意識が薄い・・・ことの証でもあったのである。そんな政党に政権を与えたのは、我々国民なのだから、今暫くは、成り行きを見守るしかないだろう・・・と、私は考える。

つまり、野党に限らず・・・・我々は、「反対の作法」に無知なのである。そして、日常に置いても、「討論」を嫌う。また、「反対」の中に、賛成多数の決まった事がらに瑕疵が発見された時、運用に躓いた時、参考にすべき意見が含まれているものであり、その様な「反対」でなければならないものである。言わば、「討論の作法」ともいうべきものであろう。
ついでに言えば、「国民総背番号制」に、猛烈な反対をし、世間を動員した「社会党」もまた、戦後日本の発展にbrakeを懸け、先の、「消えた年金」を惹起した犯罪者でもある。
日露戦争直後の、日比谷公園の焼き討ち騒動が、太平洋戦争に繋がった様に、理念なきideologyに酔った「反対」は、その成果はない。商業、民間・給料取り、そして公務員と、その年金の姿が多様化してのは、当時の事情と、その保険料の徴収の容易性に起因するものではあっても、その後の文明の進展は、一本化という理想を可能にする条件を整えつつあると考えるべきだろう。

自民党の感情的反発には、私も同情するが、民主党の「轍」は踏んで貰いたくない。自民党の、民主党の「轍」を踏ませない工夫・・・民主党・野田政権の力量でもあるだろう。“ものもんた”の様に、政治家を悪しざまに批判・非難するだけで・・・demagogyとして・・・解決はないだろう。理想は存在しないのであり、理想に到達する政策等は存在しない・・・時に応じて、調整・・・微調整を含めて・・・をすることこそが涵養・・・民主主義の成熟であり、議会政治の習熟であり、政党政治の進化であると、私は考える。
「負けるが勝ち・・・」の精神・・・人数だけが政治だと考える人物の幕引きを急ぐためにも、その理性を信じて、真摯な討論を行って欲しい。