子供の安全・・・基本を忘れた教師達・学校・・・教育委員会・・・・

3・11で、教育委員会、学校、教師の日頃の覚悟が、子供達の命運を大きく分けたことは、届きnewsとして伝えられるが、大きく、現代の教育現場の問題として報じられることもないし、話題にもされない。勿論、子供を失った親達の悲嘆を配慮すれば、軽々しく扱われる問題ではない・・・との、説得には理解をしたいと思うが、親も子も被災し、命を失っていれば、そこにあって「怠慢」への抗議、発言も、津波が封じたことで一件落着となってしまうのだろう・・・つまり、彼等の犠牲が、きちんとした形で、語り継がれなければ、文字通りの「無駄死」になってしまうのである。

在校生の70%が、津波に呑まれた「大川小学校」・・・生き残った教師の悔いとして、「裏山に一本の道があれば、校長・教頭の判断が、こんな結果になることはなかたろう・・・」と語られているのだが、実は、防災manualが、文科省通達をコピーして綴じただけのものであったらしい事が、newsの中に報じられていた。そして、千人以上(うろ覚えだが)の保育児、小学生、中学生が全員高台に避難して、犠牲者が一人もなかった小中学校と近所の保育所・・・災害から一年を経過しようとしている現在でも、全国の小学校、中学校・・・保育所、幼稚園も含まれるだろう・・・の防災manualには、改善の兆しがないのだとか・・・つまり、もう既に、「喉元を過ぎて熱さを忘れている」のである。

特に、今回被災地は、初めての被災ではない。その歴史も「石碑」として残され、そこには、教訓も刻まれている。地震国日本、津波国日本・・・しかし、教育の中で、その事が強調されることもないし、子供達に教えられることもないし、それを知らずに育った親が、大人になった自覚に欠けるから、子供は可愛くても、その命を愛おしく思うことは少ない・・・

恐らく、防災manualが、copy & bookingで終っているのは、copy machineの普及によるものだろう。ガリ版の時代なら、通達manualを書き写す段階で、幾ばくかの知恵も織り込まれていただろうし、丁寧に読みながら、鉄筆を走らせるのだから、多少は「考える」行為がうまれたであろうと、私は考える。

「防災manual」とは・・・そのconceptは如何にあるべきか・・・。考えない教師、考えない教育委員会・・・そして、行政、議会・・・脳が空っぽか?・・・と、疑う前に、「頭蓋骨」の内側に「脳」の存在がなかった・・・教師の育て方を議論するnewsやTV・programに出会ったことはないが、この国の人々は、己の「責務」を考える習慣がないのだろうと、私は思う。勿論、私もその一人・・・だから、先日の宮台真司の、「自分に引き付けて考える人間たれ・・・」の一言に、我が心を打たれるのだろう。

大川小学校の、命を虚しくした子供達・・・何事も他人任せで、文句を言うだけが、大人の、市民の、国民の役目だと思っていたことの、「裏目」だった。生き残った子供達の責務は、そんな大人になってはならない、そんな親になってはならない・・・算数が出来なくてもよい、国語が分からなくてもよい、成績が上がらなくてもよい・・・・我が身に引き受けて考える「大人、親」になって欲しいと思う。
君が代」「日の丸」への反発・・・・そんな事には熱心でも、目の前の子供の命からは目を逸らして・・・それで教師なのか・・・。戦後の最大の失敗・・・ここまで無責任、そして矜持なき教師を育て、教師面して安穏と教育界に君臨して来た教育関係の識者達・・・恥を知れと、私は叫びたい・・・。