西陣織とFD・・・

不昧因果、不落因果・・・とは言うが、西陣織とFD(floppy Disc)にこんな関係があったとは、newsを聴きながら驚いている。

私が最初に接したFDは、「8インチ」・・・・小型の冷蔵庫程もあるword processorを毎回3枚の8インチFDで起動(一枚は記録用)していた日が懐かしい・・・

ガリ版を経験したのが、小学校一年生・・・西湖津小学校、二年生になる直前たっだと記憶するが、先生が、クラス全員に、短い文章をガリ版で切らせ(書かせ)、小さな文集を作って下さった。妙に鮮明に覚えている記憶である。先生の名は、「長友先生」。優しい女」先生で、虚弱児だった私は、寒くなると、ストーブの傍に席替えして貰っていた・・・monster mamaの母が頼んでいたのだろう・・と、想像に難くない。「長友先生・・どうしたかね・・・」と、時々、遠くを眺めて呟いていた。
そして、配属された現場では、報告書類が、ガリバン印刷か、カーボン紙複写で作られて板から、私は、まず、ガリ版の練習が命令され・・・周りには、現場から事務代行に抜擢された方々がいて、見事な「字」に圧倒され、時には芸術的な文章を作成していた・・・生来が不器用な私には、高嶺の華移譲の、宇宙の華の様な存在だった。
でも学卒が外国文献を約したreportは、私の文字でも充分だったのだろう・・・・時々、訳者のミスを指摘しなかった・・・と、無理難題を押し付けられることもあったが・・・顔にインクをつけたまま退社して、女の子に笑われていたことも、懐かしい思い出である。
長くなったが、誰も依りつかないword processorに飛びついた私ではあった・・・十数年を待った、文明の利器だった。

画面の下の方に、打ち込んだdata、文字が、programとして表示され、文章の加除訂正は、文章の中ではなく、このprogramの中で行わねばならず・・・その場所を探すのが少々大変だった。

 このword processorで、海外PLANTのengineering reportを纏めた時は、ガリバンからの脱却を実感したものだった。その後は、word processor中心の事務機器の展示会には積極的に訪れ、word processorの日々の進化を実感する日々が続いた・・・例えば、「自動改行」等も、その一つ。文字を一字挿入すると、行端の一字が消える・・・そんな時代だったのである。勿論、外国製のword processor(英語)は、一歩先を言っていたのではあるが・・・。

特殊文字や辞書外の文字は、userが各自で登録するので、本文を作成したword processorでなくては、修正が不可能な時代は、案外に長かったと記憶する。この高価な機械を手にすることの出来るのは、中年以上の方が多かったと、記憶する。私物を事務所に持ち込んで業務に利用していたのである・・・電卓の初期も、同じ様な現象だった・・・私も、7,000円も出して購入した電卓・ピタゴラスは捨てがたく、未だに書斎の飾りである・・・特定機種が、何十台も一斉に導入される陽になって、メーカー間の共通性が増し、「辞書」で苦労することも少なくなって、今日に至っている・・・と、私は観察している。

Desktop、note typeが普及する頃は、厚紙(?)のcaseに収まった「5インチ」floppyに変じていて、しかも、冷蔵庫の様なword processorの不便さは解消していた。Hard caseのFDになるのは早く、普及も早かった・・・この頃には、personal computerも、可なり普及していたのではないか・・・まだ、LANの普及はいまいちだったので、FDを以って、彼方此方のpersonal computerで使っていて、dataの気密性が問題になり始めていたと記憶する。

私も、組織のtopから依頼されて利用した「漢字データボックス」のdataを収めたFDを担当者が、彼方此方のpersonal computerで使い回しして、漏洩してはならないdataが漏えいして、いたく叱責を受けた記憶が生々しい・・・「俺が悪いんではないよ・・・」と、内心憤懣やるかたなかった・・・。newsで、重要data、文章の漏洩を聞く度に、IT時代の「機密性に関する教養」の不足を思うと共に、管理の難しさを痛感する。FDの利便性である、機器の共通性に厳しい制約を掛ける工夫・・・つまり、作成したmachineでしか、訂正加除・copyが出来ない様な工夫、そして、破戒されない様な、soft的hard的systemの装備が望まれるところだろう。

勿論、文章・dataの重要部分を暗号化して、他機種に遭遇した時には、自動的に破戒される様な工夫・・・西陣織の「紋紙」は特殊なformatで記録されていると言うが・・・と共に、copyされない、され難い工夫も必要になるのだろう。

News・・・ワイドショー的な・・・では、西陣織が滅びるるか・・・等と、dataの保存媒体とは無縁の議論を提示していたが、私は、mediaの馬鹿げた騒ぎ方だと思う。現実に、FD以外の媒体を利用している若い職人もいるらしい・・・ケイタイだけで、IT技術ではあるまい。西陣織の、今後の発展に寄与する様な、data媒体の開発を促すものあるべきではないのか。例えば、ペルシャ絨毯など、何時まで安価な労働力を確保できるのか・・・あるいは、新しい発展は期待できるのか・・・女性の忍従と安価な賃金と、低い生活レベルに支えられて、文化が、文明が永続できるものでもないだろう。
Mediaも、もう少し真面目な、真摯なmannerで、newsを伝えるべきであろう。勿論、日常を、もっと豊かに飾る西陣織の登場を促すものが生れれば、それも良い・・・化石の如きFDに囚われて、西陣織の真価の評価を誤ってはならないと、私は思う。