鎮魂としての瓦礫処理・・・・・

細野大臣の話では、被災地に山積みの瓦礫は、被災地の一人当り;4屯、しかし、これを沖縄を除く各地で処理ができれば、一人当り;33キログラムだとか・・・現在、国民一人当たり年間のゴミ排出量は400キログラム・・・つまり、苦労を皆で分け合えば、十分の一になる・・・計算。
沖縄の米軍基地にも通じるものもあるのだが、こちらは、防衛上の問題があるから、同一には語れないだろうが、ロジスティック的な部分は、あるいは、同じ思考を必要とするかもしれない。つまり、「絆」の思想を選定とした時の、思いである。

また、元県知事のcommentでは、日頃は口うるさい雄県の県知事が「だんまり」を決め込んでいる。これに積極的に発言させる必要がある・・・と、あった。結局、民選知事の弱点なのである。これが、官選知事なら、内務省の一声で動くだろう。顰蹙を買うことを前提で言えば、懲役を覚悟で、放火すれば、問題の解決は早いと・・・言えなくもない。

子供の頃に、小さな池・・・水たまり・・・を、家庭ごみで埋める事を町役場の職員が思いついた、何でも、池に変じる前は、自分の祖先の土地があった所で、古地図には、明確に存在しているのだたとか・・・ゴミで埋めれば、元の更地になる・・・発想は良いのだが、後先を考えない浅はかなものだった・・・ゴミ廃棄を初めて、三日程して「蝿」の大量発生が始まり、近隣の家々の壁や、窓(ガラス)、そして物干し竿にまで、真黒に「蝿」が止まる様なった。家の中には、「蝿取りリボン」が数十本下げても足りない・・・・結局、誰言うともなく、「火を付けよう・・・焼く」と言うことになった。それを、役場に密告した御仁がいて、後にリンチに遭ったが・・・周辺の山に延焼すれば、事は大きくなる・・・・最後は、殺虫剤の散布を増やすとか、土で覆うとか、何とか・・・行政の、場当たり的な言い逃れが続いたが、可なり危険な雰囲気になり、結局、ゴミ廃棄は中止になった。この時、「放火」の言いだしっぺは、前科もあって、覚悟も決めていたとか・・・暫くは英雄だった・・・子供だった私の目にも、大きな人物に見えたものだった。・・・被災地の瓦礫の山をTVに見る度に思い出す・・・・。

私の住む「福岡県」は、如何覚悟しているのか・・・福岡市は、あるいは、北九州市は・・・全くnewsを聞かない。私の難聴のせいなのか・・・「鎮魂」の瓦礫処理・・・・被災地の苦しみを分け合う覚悟・・・私は、誇りたいと思う。

恐らく、この瓦礫の山に「火」が入り、燃え始めたら、その煙は、列島全土に「灰」を降らせるはずである。各地が、「鎮魂の協力」を惜しまないなら、安全に効率よく処分出来るだろうし、次に地震に、津波に襲われた地域の為に、新しい「知恵」も生れることになる。

「情けは人の為ならず・・・」・・・「他人の為に、被災地の為に・・・」ではなく、己の事として、協力に骨身を惜しんではならないのではないか・・・福岡県民が、多少乱暴な県民性を持っていることは、暴力団に絡む犯罪、飲酒運転事故の件数からも明らかだが、その裏にある「任侠の精神」は、まだまだ濃厚に残っている。今日においても、「火野葦平」の人気は高い・・・玄海の荒波」、二の腕の「花と竜」・・・・その心意気で、被災地の犠牲者の「実」のある鎮魂に協力を惜しまない県民性を見せたいものだ・・・県知事の勇断を待ちたい!