生きる権利と政府・行政の責務を考える・・・・・・

電気の使用料金の未納と個人情報

Energyは、生活の必需品である。しかし、浪費は、社会costを微塵像に増加させる。故に、その対価は、使った量で、支払う・・・私は、ガス、水道、電気、あるいは、通信costの負担を、この様に考えている。生きる権利・・・これは金科玉条・・・権利である。政府も地方行政も、その権利の擁護の為にある。「税金」とは、その時の軍資金であり、命の保障が危うくなった時に、とりあえず救って貰える「保障」である。戦後、その理念が危うかった時期・・・私(私の家族)の生きざまを例に、論じて見よう・・・・

引揚げてきた当時の「超貧困」の生活の中で、燃料は、近くのボタ山に拾い、時に、石炭列車の貨車から失敬し・・・塊炭が積まれていた頃まで・・・時には、hopper(貨車積みの装置)を、悪童共と開いて、石炭を失敬したりもしていた。薪は、もっぱら、坑木用に貯木してある木材を担ぎ出していた・・・薪割りは、それなりに小学生には辛い仕事ではあったが・・・後に、炭坑の衰退の前兆として、貨車には、悪質な「ボタ」に近い石炭を混在させる「粉炭;乾燥した泥のような」が一般的になり、団子にして、質的には「練炭」に近い、「豆炭」に加工しなければ、使いものにならず・・・母が、坑外夫として働く様になり、容易に入手できるようになって、自然に止めた。
穴だらけの泥壁、草ぶきの屋根、天井がないから、星空が寝床から観察できる・・・部屋の中で、練炭を幾つ焚いても、中毒をする心配は全くない「あばら家」・・・其処から脱出して、土地は不法占拠(炭坑は鷹揚だった)、、そして、闇で稼いだ金で建てた家は、不法建築・・・犬小屋を作る職人が、立てたもの・・・北朝鮮で一時的に住んだ「傭人」社宅より、粗末なものだった。屋根だけが「便利瓦」だったので、雨漏りの心配はなかったが、夏には、コールタール塗りを命じられるのが辛かった。水は「井戸」・・・・開拓地(わが家も似た様なものだったが・・・)でも、小さな町の郊外でも、わが家と変わらぬ家庭は多かった戦後・・・シベリアから帰国してみれば、妻子は、引揚の途中で行方不明・・・内地の親族とも連絡が付かず、付いても、お互いに貧困であれば、頼りにもならず・・・孤立無援の「孤立者」も多々いたはずである。勿論、家族ぐるみの「孤立」も・・・そこで、孤立死の話は耳にしたことがない。Mediaの少なさもあるが、その貧困の密度は集ったはず・・・わが家の様な、悪知恵を使って生き延びた方が多かったのだと・・・私は推察する。それでも、父や母は、わが家はまっとうに生きて来たと・・・その晩年に誇らしげに、周りに語っていた・・・長男の私が、その話の輪に入れてもらえなかったのは、悪事の詳細を。体験として知っているから・・・と、自分なりに納得していた。

昨今、ガス、電気を切られ、加えて貧困・・・その孤立者が「餓死」するnewsがかまびすしい。恐らく、昭和20〜25年の戦後の時代には、無かったのではないか・・・知恵がなく、悪事が働けない正直者は別である。
小学校の遠足で、「滝」を訪れた・・・近くに「竹やぶ」があって、一人の子供が「筍」を見つけた・・・子供達は、弁当を入れて来た「雑」嚢を空にして、筍掘りに専念した。今に思えば、教師連は遠巻きに見ていた様に思う。私も含めて、何人かの子供が、自分の収穫の中から、教師への贈物とした・・・教師は喜んで、それを自分の雑嚢に収めた・・・昭和22年の春の遠足の思い出である。ご飯ならぬ、得体の知れない、母の手作りの弁当に、筍が、一週間は添えられていたと記憶する。人間は、生きることが最優先である。ただし、その為に、他人の命を奪うのは、これは「戦」であり、自らも「死ぬ」覚悟が必要だろう。その様にして戦死した、こそ泥棒の話も、日常茶飯事、食卓の話題になった。親の忠告は、「用心深くあれ・・・」だった。

孤立死・・・餓死・・・これを行政が見のがし、放置し、そして、それを、死者の不届きと放置するのであれば、「死者」の側にも、生きている間の「抵抗権」は保留できる筈である。
ガスを切られたら、家財道具を何故燃やさない。木片の一つや二つは、近所に散らばっていたであろう。煙の制限、地球温暖化への影響・・・そんなもの「糞喰らえ!」とは思わないのだろうか・・・差別、格差を嘆く前に、その差別、格差を不当と感じるならば、抵抗すべきであろう。何があろうとも、命を失う程の貧困を政党付ける正義があるとは、私は思わない。行政とは、政府も含めて、世の不平等をenergyにして、その繁栄を維持しているのである。ならば、敗者にも、敗者に応じた、敗者復活に寄与する「救い」を忘れては、その職責を果たしているとは言い難い。

「届がなかったから・・・・」。それは、怠惰な健常者に投げつける台詞であって、自力では立てない弱者に言うべき台詞ではない。これは、言葉というものの、TPOを弁えない「愚人」の台詞であろう。
3・11の大津波の跡地に、バラックが立たない・・・戦後の焼跡のfilmには、小さな、縄文時代の様な、屋根らしき住まいの傍に、煮炊きをする人々の姿がある。その姿がないことを、曽野綾子は、多少の感激を含めて書いていたと思うが、それは、政治を信じて疑わない庶民の姿でもあるのだと、私も思ったものである。
政府が崩壊した時、庶民は、大衆的な暴力に訴えることなく、分相応な知恵で、復活への努力をしてきたのである。今回の大震災・・・此処まで築き上げた文明への信頼と、政府への信頼・・・故に、この国には、亡命も暴動も、集団略だも無かったのである。
政府、行政の担当者に言いたい・・・庶民は、君達を信頼しているのであると・・・届がなくとも、見えるべきものを見る能力を信頼しているからこそ、一歩も動けなくなるまで、頑張っているのである。少なくとも、平和に死ねる様に、安穏な死に水が与えられる様に・・・人間の尊厳を以って旅立てる様に計らってあげるべきなのである。

「入金がない・・・」。ならば、「ガス・電気を遮断する・・・」では、人間が、遮断機と言う機会に変身しているだけではないか・・・己の顔が身体が、人間であるか、否か・・・いま一度、自らの姿を「鏡」に確認すべきであろう。