密談のこと・・・・

密談・・・

政治の世界に「密談」は、必要不可欠なものである。その一端にでも触れたいと思うなら、自らの教養を高め、その世界・人脈からの信頼が、これまた必要不可欠になる。少なくとも、大衆レベルでは、付和雷同が喜ばれ、時に、突発的な興奮に突き動かされる情熱・熱狂が求められるが、それを厭わない資質、人格とは無縁の世界である・・・つまり、それは「奴隷」根性なのだから、人間の世界に住んでいても、「人間」扱いされることは望めない。韓流・時代劇ドラマの人気も、そこにあって、王族、貴族、官僚、そして高級兵士・将軍等の階級差がドラマの中で明確であり、その階級差の裏側にある「人品」の洞察が、ドラマを楽しんでいる者に、明確に伝わるからである。

現在、BSフジで放送されている「善徳女王」にもこんなsceneがあった。女王が、奴隷同様の百姓に、貴族から没収した土地を分け与え、開墾させ、自分達で話し合いながら収穫を処分し、税を納める・・・その様な村の建設を持ちかけるが、百姓が乗ってこない・・・そんなことされても、私達はどうして良いのか分からない・・・が、彼等の返事・・・・敵役の高級官僚が言う・・・「民は真実を重みに感じ、話し合いは面倒がり、自由を与えられると躊躇する・・・」と。私達にも、耳に痛い台詞ではあるだろう。因みに、「民」とは、奴婢のことである。
私は、「大衆政治」=「populism」であると、考える一人である。私のブログも、その様に読まれることも覚悟しているが、時に批判を浴びれば、悟る所もある・・・それを期待して、時間があれば書き続けるが、それは、何とか、「大衆」という、汚れきった衣を、自らの努力ではぎ取りたいからである。

突然に、正面から自らの主張を主張しあって政治はない。それは、喧嘩、闘争に等しい。そして、「実り」はない。百人十色・・・である。大きな違いもある。また、取るに足らない地がもある。説明が足らないこともある。誤解をされることもあるし、することもある・・・邪推は、もともと妥協の気持ちのない「話」だから、その根本に於いて、「話」の前提にはならない。
また、二人で、静かに、忌憚なく話し合える間柄もある。あるいは、お互いに合意可能なことだけを話し合うこともあるだろう・・・そして、二人の間で波紋が重なり、周辺に影響を及ぼす効果も期待できる。
秘密裏に話し合いをする必要もある・・・何故か・・・双方の論理、主張が、多色的であると、お互いの陣営、時には、自らの陣営からも、その時の不陰気で誤解されない・・・それが、妥協を妨げる危険を回避したいからである。明らかに結論で妥協しなくても、お互いの論理の主張の中に、妥協を探し、一先ずの妥協をする・・・私達の日常にもあることだろう。「あいつが言うのなら仕方ないか・・・」と、相手の理不尽をも許す寛容さである。これは、相手の主張が、結果的に失敗であった時、その非を素直に認める信頼も必要だし、その失敗を最小限に抑える協力も必要であろうし、結果への感謝も欠かしてはならない。何しろ、個々人は、小さな存在なのだから、perfectを確信してはならないのである。

今、民主党も、また自民党も、確信的なgroupの「乱」の中にある。良識派が声を出せない雰囲気が旺盛である。少なくとも、「消費税・増税」は、現行の国家財政から見て、妥当な主張であり、必要な施策であると、私は思う。野田総理・内閣の主張、谷垣・自民党の大凡の主張も似たりよったり・・・自民党は、財政的な知識が旺盛だから、last侍の三人の宰相を守り切れずに、野党に転落したのである。鳩山・菅そして小沢の民主党manifestが、その見通しにおいて間違っていることは、選挙期間中に自民党の主張したことであり・・・国民が余りにも大衆的だったが・・・その主張の正しさを選挙で明らかにしたい・・・故の、総選挙・論を展開しているのである。
野田総理も、党内分裂を無視すれば、大凡自民党の主張が正しいことを認識している・・・と、私は読んでいる。しかし、党内分裂の始末をそのままに総選挙をするのは、余りに無責任であるとの認識であろう。私は、その認識を正しいと判断する。
「消費税・増税」・・・高度経済成長で膨れた「福祉」・・・これが、官僚の不手際も重なって、不況・税・減収の逆風の中で、立ち往生している現実を見れば、野田・谷垣の主張は、理のある主張なのである。小沢の主張が、如何に、「4億円」的なものであるか・・・私も、それは政治ではないだろうと思う。

野田総理としては、小沢・脱党の後を考えての、自民党との連携であり、小沢なき後の、民主・自民連立なのだろう。寧ろ、55年体制の再来でもあると思うのだが、奈何せん「三木武吉」が居ないのが苦しい・・・これが「時代」というものであろうけれdも・・・。
輿石、森・・・この辺りが「三木武吉」足れば、案外に勝負は早いのではないか。野田・谷垣の対話・・・ないと考える方が変である。しかし、会ったということを前提にしては、国会が死ぬことになる。議会制民主主義を守りぬくためにも、この二人が会ったことは、これからの議論の前提になってはならない・・・これが、今日の結論であろう。10年もすれば、真相は明らかになる。

Mediaが、お粗末talentと同列に論じるから、そして、それの大衆が大衆的感覚と論理で悪乗りするから騒がしいのである。このまま推移すれば、素晴らしい野田総理であり、素晴らしい谷垣総裁である。日本の民主主義は健在・・・・私は祝したい。唯、「鵺」の如き小沢一郎には早く眠って欲しいと思う。