南京虐殺の真偽・・・問うことが愚か!

満州傀儡政府樹立を涙に涙を飲んだ、蒋介石中国・・・孫文健在なら可能だったろうか?と思わないでもないが、「もし・・・」で歴史を語ることは愚かであろう。が、宮崎滔天などが懸命に支援した「孫文」を見殺しにした、「田中義一内閣」等、中国侵攻、侵略の下書は、とうの昔にできていたのであろう。
昭和12年7月7日・・・日本軍2個師団が敵前上陸。ドイツ・ヒットラーの支給した大量のチェコ機関銃の前に、大惨敗・・・数個師団の増強で、一週間を要してなんとか中国軍を撤退・・・南京城へ・・・その南京城での戦闘ですからね・・・城壁の中は、軍人・兵士以外の居住区ですから、そこへ攻め込めば、必然的に「住民を虐殺」することになる・・・日本軍部に、城壁に囲まれた都市の常識がなかっただけのことではないか・・・「パリコミューン」もまた、同じ様な状況だったと、森鴎外の語る所であろう。
「何の為に、上海に上陸し、南京城を落とし、重慶絨毯・無差別爆撃したのか・・・河村市長も、その位は勉強して、市長としての外交を行うべきだったろう。自分が何を言うかではなく、相手がどの様に理解しているか・・・それが重要であり、対話というものであろう。

「中日(あるいは日中)柔道館」開館2周年記念式典」が中止になり、SKE48の公演が中止になった・・・何をしに南京まで出掛けたのか・・・まるで、ぶち壊しに、南京くんだりまで出掛けた・・・公費の無駄使いである。

広島、長崎の原爆投下・・・「戦争終結を急いだ・・・」と言うアメリカの言い分を、快く聞く日本人はいまい。終戦時9歳の私も、敗戦がなくんば、終戦が遅れれば、今の生存はあり得ない。それを、例えばアメリカ要人に語って、それをアメリカの要人が、「日本人は原爆投下に感謝している・・・」と発言して、喜ぶ、賛同する日本人が存在するか・・・少しだけ考えれば、小学生でも理解できる事柄であろう。当の私でさえ、己の命をながら得た幸運を喜びはしても、アメリカの軍事行動を許す気分にはならないのだから・・・。

まだ、懲りずに・・・「30万人も殺せるわけがない・・・」と、カメラに向かってほざいているが、余程の馬鹿か、無神経か・・・まだまだ、100年は痛みが続く歴史的問題だが、両方の市民、国民は、その、証明しようもない「事」への痛みを忘れたいのが本音だろう。私の父が、戦後、彼等から「嘱託」という処遇をされ、それに感謝しても、彼等には顔向けできないと語っていたのは、個人的な友好と、その背後にある民族的な歴史認識は別物だ・・・との認識があったからである。
また、戦後13年も過ぎて、かつての使用人が、そこに残した「財」の一部を、送ってくれた・・・つまり返してくれた・・・でも、それをもって、満州に住む中国人が、日本人を許しているとは言い得ない・・・ある御婦人の話だった。

あるいは、「俺は市長だ!」の思いがあったのかもしれない「河村市長」、しかし、中国侵略と言う歴史的事実の前には、その「罪」を背負い続ける責務があることを忘れてはならなかった・・・それは、あるいは私とて同じだと思う。