瓦礫処理・・・遅滞の原因は、新聞、TVの付和雷同にあり!

瓦礫処理・・・遅滞の原因は、新聞、TVの付和雷同にあり!
被災地から、瓦礫の山が消えるだけで、いや、日に日に少なくなるだけで、どれほど、被災地の人々の勇気を鼓舞することになるのだろう・・・「頑張れ!・ガンバレ!」と叫び、大きな文字で宣伝するより、一本の瓦礫でも片付けてあげる方が、余程、被災地の人々の勇気を駆り立てるのではないか・・・また、「絆」とは、なにか・・・「経」や「ノリト」ではあるまい。絆・・・とは、大凡の所hardである。そこに血が通って絆が絆となるのである。

現在の所、瓦礫を受け入れたのは東京だけ・・・確かに恵まれた環境があるとは言うものの、各自治体が、自ら大地震、あるいは津波に襲われた時、自らがどの様に対処するのか、そのimageを持つだけで、その知恵も生れようと言うものであろう。

特に、関東、南海、東海、そして四国、九州の太平洋側、福岡、熊本、佐賀、長崎等の有明湾沿岸の市町村、あるいは、大きく海に開けた北部九州も例外なく、津波に襲われる可能性は高いはずであろう。その時、今回、東日本以上に瓦礫の処理には困難を極めるのではないか・・・今回、東北三県は、かつてドイツが、そのゴミの処理に困って、都市の周辺にゴミを集積し、それを厚く泥で覆い、その上に植林をして、公園化した・・・その手法に倣えば、現在、津波の跡地になっている場所を、深く掘り下げ、そして瓦礫で埋め、そして少し小高い丘を作り、津波の再来に備えるような公園化を計る・・・時間は要するだろうが、不可能ではない。
そして、全国に宣言する・・・何処の地域の瓦礫であれ、我が街、我が市、我が県では、絶対に受け入れませんと宣言する・・・おそらく、5~10年を要すれば、あの広大な津波あとが、美しい公園として再来する筈である・・・私がimageする景色は、富津市の「富津公園」・・・私は、この公園の西の端にある、小高い山・・・おそらく設計者、富津・富士のつもりだろう・・・で、ビールを飲みながら、大きな落日を観るのが好きだった。単身赴任の間、殆ど毎月一回以上は、この公園を散策し、特に桜の季節、躑躅の季節は、楽しんだものだった。
勿論、公園化した津波後への入場・・・他県からの訪問者には、地元の人の数倍の入場料を要求すれば良いだろう・・・それが嫌な人間は相手にしない・・・それくらいの矜持を持てば、それは地元の人々の誇りにもなるだろう。この列島に住む人間に、「他人の不幸は甘く」そして、「団結」を求めるのは無理なのである。もしあるとすれば、政治家、軍人に煽てられた、非人間的な「特攻」しかないのである。

「他人の辛さは蜜の味・・・」。我が街でも、ここ50年間の新住民は高台の団地に住んでいる。しかし、海岸には、そもそも街の発祥時からの住民が住み、商店街は、ほぼ同じレベルにある。市役所は、高台にあるから、ほぼ、地震・津浪への関心は薄い。せめて高台にある団地は、非常時に、低地に住む人々が駆け付けた時・・・逃げて来た時・・・の対応を考えるべきだと思うのだが、話題にもならない。「絆」等と言う言葉が、実に虚しい。綺麗事なら誰でも言える・・・の類であろう。

被災地の「瓦礫」・・・mediaが、殆ど、その分担して処分することへのcampaignを全く行わない。復興が遅いと、政府を批判はしても、その、大きな原因が、この瓦礫にあることを全く報じない。言及しても、政府の説得を求めるだけで、新聞、TVが直接に読者や視聴者に呼び掛けることはない。Mediaの役割とは何だろう・・・戦前に、軍事政府の口車に乗って、あたら若命を戦場に消耗させた、その罪をおもっているのだろうか・・・とんでもない間違いである。何が迎合で、何が積極的なcampaignなのかの判別すらもが付かないのである・・・恥じるべきだろう。
新聞、TV・・・大いに恥ずべし!