みっともない・・・後期高齢者・・・・

九州新幹線が、6時間の停車・・・お疲れ様でした!
架線にビニールが絡まって、その撤去に時間を喰い・・・電車のバッテリーが消耗してしまった為に、車内は真っ暗、恐らくair conditioningも効かない状態だったのだろうと忖度する。また、toiletは如何したのだろうか・・・とも、3,4時間の車内閉じ込めの経験から思う。原因が、一見して単純なだけに、乗客の怒りも最もだと思うが、未経験の事故、あるいは、稀な事故とは、往々にして、こんなものである。「初物」の危険性でもある。

そんなことを考えるのが、老人の呑気さなのだが、自らの過去を思えば、背筋が寒くなり、時に赤面する事態に何度も遭遇した己の姿が懐かしくもある。福島の「原発」事故も、その後の処理も処置も、基本的には、この九州新幹線の事故と事態と、それほど変わったものではない。つまり、当局に、simulationの経験がないだけのことである。

阪神淡路大震災まで、防災の日の訓練風景は、まだ、「バケツリレー」だった。つまり、役立たずのsimulationを行っていたのである。そして、あの惨事に、一挙に学んだ・・・火を消すよりも、避難・・・昨今、小規模な火事で、死者が必ず出る・・・一人、二人・・・殺人の臭いがしないでもないが、やはり、「火事がない・・・」との意識で生活していることに原因があるのだろう。
もし、隣家に火事が発生したら。火元の管理がルーズになったら。ストーブの消し忘れ、たこ足配線への無関心・・・家の中の火事の原因への関心があるだけで、悲劇は防げるのだが・・・その関心が、つまり、「simulation」なのである。

福島の原発事故についても同様・・・「原発」が安全な分けがない。それは、日常で運転しているクルマでも同じである。
しかし、どんな危険があるのか、存在するのか、それが如何様に生活に、健康に、生命に関わるのかを考えるのはsimulationである。今回の津波が大きかった・・・しかし、「津波」に対するsimulationが全く存在していなかったことが、最大の原因である。「電源喪失」・・・鉄塔が倒れたのは想定外かも知れない・・・認めよう・・・しかし、電源喪失がどの様に発生するかは、simulation、人間の想像力の問題であり、日常の関心の問題である。況や、「bent」が出来ない「bent装置」に至っては、犯罪的な失態であろう。地域に恐怖を与えるから、filterが設置出来なかった・・・simulationとは、加害。被害の垣根を超えた関心を共有し、認識を持ち会うことにある。

電車に乗るなら、こんな事故も想定・・・simulation・・・もなければならない。飛行機を利用する時、空中分解したら、engineが停止したら、破戒されたら・・・と考えるのは愚かである。搭乗したら、後は、「運」しかない・・・勿論、新幹線とて、安全に停車出来る可能性を超えた事故には、飛行機と同様のことが言える。しかし、少なくとも、事故に至らず停車したのである。その時点で、一先ず「生命」の安全は保障されたのだから、それ以上を求めるのは、傲慢であろう。また、己の、乗車前のsimulationの不足、欠如でしかない。
一寸したsnack、ペットボトルの水位は準備して乗るべきだろうし、灯りが確保できれば、文庫本の一冊で、随分と気持ちを落ち着かせることもかのだろう。

事故後の博多駅で、駅員に喰ってかかる老人〜80歳超か?〜の姿があった。「みっともないな!」と「他山の石」としてscreenに拝見したが、当人は、「正義漢」のつもりだろうが、やはり、他人の目にはみっともない。恥ずかしい限りである。私も、現役時代の「私」に恥じながら、映像を拝見した。決して英雄には見えない。Simulationを忘れた「愚か者」の姿である。

蒸気機関車と新幹線・・・その違いを、退屈する車内で考えるのも、この老人世代〜私も同世代〜なら可能な筈である。蒸気機関車を知らない世代には無理でも・・・そもそも、架線がないから、事故がなかっただろうな・・・迎えの機関車も直ぐに来たかもしれない・・・蒸気はあるから、暖房は心配なかったろうな・・・車内証明は、やはり途中で消えたかな・・・toiletも使う分には心配なかっただろうな・・・しかし、線路の上は悲惨な状態だったかも知れない・・・等々・・・退屈を紛らわすこともかのうだろう。後期高齢者ならぬ、「高貴高齢者」なら、駅員を叱りつけて血圧を上げることもなかろう・・・そもそも、事故に遭遇したくなかったら、旅をするな・・・私が駅員だったら、逆切れしたかも知れない。今の若者はおとなしい。老人を叱るのも、若者の特権として認めてあげたいものである。