死刑執行・・・3人。ああ!・・・無情!

120人もいるというのだから、特段に驚くことはないのかも知れない。また、「死刑反対」の声も少ない・・・巷でも話題になっていない様に思う。
今回、不思議に思ったのは・・・何故不思議に思ったのかは、自分でも説明できない・・・只、不思議だな・・・と、思っただけである。
その前に、「死刑」に関する私の立場・・・もし私が、極悪な・・・極悪非道な犯罪を犯して、100人が100人、「死刑」を当然と思う様な犯罪を犯して・・・「釈放なしの終身刑」を言い渡されて嬉しいだろうか・・・と。こう考えると、「死刑」の方を私は選ぶだろうと思う。若くても、高齢でも・・・今は高齢だから、特段に、命に執着しないつもりだし、執着するなら犯罪を犯す様な愚行はやらないだろうと思うし、怒り心頭に達しても、あるいは、自らが被害者になるとしても、我慢するだろう・・・不用意に殺してしまえば、もちろん、素直に「一審」の判決に従って、死刑に処せられるだろう・・・し、それを望む。
若い頃は・・・もう巡っては来ないが、そんな話をcounterで何度かした事を記憶する。その時は派、例外なく、「死刑」を受け入れる・・・と言う、潔いものだった。今の若い方でも、常識的な方は、変わらないのではないだろうか・・・犯罪者の道を「活」として選ぶ方は別として・・・。バート・ランカスター扮する死刑囚の様な囚人に自分がなれるか・・・「無理だな・・・」が、大凡の納得だった。それが、この映画の凄さであり、価値でもあったのだろう・・・と、思う。

不思議に思ったこと・・・・それは、120人の死刑囚がいて、比較的新しい死刑囚の3人が選ばれたことである。古い順に送り出すと言うことではないらしい。勿論、重篤な病にある死刑囚、時に当って、体調のすぐれない死刑囚・・・あるいは、再審の恐れなしとしない死刑囚は、その執行が先送りになるのは分かる。しかし、その様な該当者が、それほど多いのだろうか・・・。

しかし、家族にとっては、死刑執行までの時間が開くと、「あるいは・・・」との気持ちが動くこともあるのではないか・・・もし、その時をねらって、刑の執行が行われたら・・・これはこれで、残酷極まりない、法に基づく殺人になりはしないか・・・父は、自ら志願したことはないが、役目として立ち会ったことは、細々と話していた・・・今は、黄泉で、その人々と会っているのかも知れない・・・。

もし、判決から、刑の執行まで・・・その両親が亡くなるまで延期できるのなら、延期して上げるのが、法の情けではないのか・・・勿論、刑の執行が、両親の死去まで延期されることが、囚人にしらされるなら、彼の心も、多少なりとも癒されるだろうし、両親も、先だった黄泉で、死刑囚だった子供を迎えることが出来る・・・贖罪の為に、己の命を差し出す人への、せめてもの心ではないだろうか・・・犠牲になったかたも許してくれるのではないだろうか・・・あるいは、罪は憎んでも、人を憎まない「法」の精神ではないのだろうか・・・。