南海トラフかミサイルか!

不謹慎かもしれないが、真面目に考えても良いのではないか・・・自問自答中。南海トラフの衝撃による、津波は20mを超えると言う・・・「どうしよう!」と思う方が滑稽ではないのか。東日本大震災の被災地の様に、歴史を慎重に学び、その対応を歴史的に、的確に行って来ていれば、今回の津波被害を、何分の一か、何十分の一かに押さえることが出来ただろう・・・そんな思いがするのは当然だが、だからと言って、何時来襲するか・・・全く予想の方法もない恐怖に怯える生活が可能かと言えば、それも難しい。
ちなみに、東日本の場合も、一度は、高台に移動したのだが、浜の作業が、浜から居住地(家の場所)からの距離で、海岸での収穫に差が生じるという社会的・地域的systemが、人々をして、一度は津波に追われた地域に人々を移動せしめた・・・と、言う。現代では、その様な隘路はないのだろうから、生産・生活環境・条件の変化に依って、もう一度「高台」に移転していれば、今回被災も、随分と小さかったのではないか・・・人間とは、そう簡単に、後知恵になる行動を先取り出来る生き物ではないし、社会のsystemが経験・体験に基づいて、そして、それに習慣が随伴して、その生活環境・条件を選ぶのだから・・・学識者の学説・研究結果・成果に基づく行動が可能か、否か・・・mediaが騒ぐのは、ただ興味を掻き立てるだけの役割しか果たしていないのだろう。

20mを超える津波を逃げるには、もう「地下」に潜るしか方法はないのではないか。一時流行した「核・shelter」を、津波からの防衛に・・・・地震に耐えれば、後は防水だけである。恐らく、「核」の放射線放射能物質の侵入を防ぐよりも容易なのではないか・・・知恵者のcommentを待ちたい。

また、高齢者の避難が常に課題になるが、私は、高齢者各自の「覚悟」を、防災の前提として考える時期にあるのではないか。2,3分で20mを超える津波が来る・・・高台への移動は、買物が不便になる・・・孤立し高齢者には、「餓死」の危険さえなしとしない・・・孤立化も進むだろう。また、高齢者が高台移転しても、働き手の若者や若い世代が、その高台移転は、生活条件として不可能かも知れない・・・いわんや、非常時の避難を考えれば、高齢者との同居も難しいだろう・・・高齢者の安全を考えるなら、高い山に囲まれた山間部に、文字通り・「姥捨て山」の地域を造成して、そこに終の棲家を構えるしか方法はないだろう・・・・「住み慣れた所・・・」への執着は許されないことになる・・・当然である。私なら、泰然と構えて「津波」の襲来を待ちたいと思う。

北朝鮮が、長距離missileの実験を、これからも盛んに行うだろう。所詮は人間の作った「もの」であり、人間が操作し、その機能を操作するのである。小さなミスが、大きな戦争を惹起する可能性は高い・・・我々は決して「平和」な環境に生活しているのではない・・・つまり、何時始まるか、何時襲ってくるか・・・「分からない」と言うことでは条件は同じである。
北朝鮮のmissileを怖れて、彼方此方を住処を変えるわけにはいかない、地震津波を怖れて、彼方此方住処を変えることは不可能・・・・ならば、覚悟しかない。
得々と語る地震学者・・・当人は、真剣に真面目に考え、語っているのだろうか・・・また、それを聞く我々が、真面目に聞いているのだろう・・・真面目な気分に浸っているだけではないのか。無責任な情報が、興味本位で報道され、それを、被害者候補の我々が、一見真面目な様で、不真面目に聞いている・・・・つまりは「茶番」の世界に浸っているのではないか・・・
高さ20mの防潮堤を造る・・・その為に「消費税」を大幅に増額する・・・何人の人が「賛成」するだろう。そんな世論調査をやっ見るのも、強ち無駄ではあるまいと、思ったりするのだが・・・。