立体駐車場の杜撰な安全意識・・・・殺人・立体駐車機の恐怖・・・

立体駐車場で、幼児が事故死・・・・設置企業の杜撰な安全意識に、newsの報道をTVに見る度に、怒りの感情を抑え得ない。設備とは、systemとは・・・其処に、人が・・・年齢、あるいは身体の不自由度を問わず・・・事故に遭遇しない装置になっていなければならない・・・もし、それがmechanism的に不可能ならば、人が絶対に・・・よじ登ったり、潜り込んだり、その動作事態に非常な困難を伴う様に・・・近づかない様な、いな、近づけない様な構造・systemでなければならない。現代では、商業施設を含む公共施設で、「段差」のない構造であり、かつての段差を解消する努力が継続的に実施されていることの「意識」でもある。
子供が容易に近づく事がかのう・・・特に、地下から上がって来る、自分の乗るクルマを待ち切れずに、子供が、その隙間に飛び降りる、近づく・・・法的な規制がなくとも、設計の思想の問題であり、human errorが、設備を殺人機にしない思想でなければならない・・・生産設備に、「人が注意すれば・・・」の言訳は許されない。
映像からの判断だが・・・あの位置からの幼児の侵入・・・軽量の、あるいは薄いメッシュの壁が一枚あれば、幼児も近づかないだろう・・・圧延の現場で、熱鋼片が流れるroller table・・・「危険」の警告看板、あるいは、「横断禁止」の看板は、一人の負傷者、死者がでれば、それは役に立たないと言う事である。つまり、「横断不能」にする・・・障害物の障害たる機能で、危険を防ぐ・・・これが、「安全」の思想である。

この場合でも、systemの設置担当者は、親の不注意をなじり、批判した・・・己の側の「仕様不足」なのである。立体駐車装置が、立体的に、効率的に「駐車」可能である・・・とは、駐車の機能であり、それが、安全に運用される機能ではない。つまり、設計思想に、「安全」の意識が完全に欠落している・・・もし、経費節減、売らんかなの思想が優先したのであれば、それは、「犯罪」である。もし、設計者の無知が齎したものであれば、販売担当の「人命無視」でもあるだろう。私は、今回事案は、「殺人罪」として裁かれるべきであろう・・・設計に携わる、設置に携わる、あるいは、販売に携わる関係者の犯罪的無知の惹起した殺人であると断ずるべきだと思う。
もし、TVに見た、聴いた、あのcommentを正しいと主張するのなら、こんな企業の装置を購入・設置するuserもまた、安全意識の欠落を咎められて当然であろう。