二匹のカラスと一羽の雀と・・・・

雀が羽ばたく日・・・・そんな日があろうはずがない!

今日・日本政界にあって、これほど醜く、悪辣な同盟関係はない。政治とは、独立した精神と理念が、その矜持をお互いに尊重しながら、理性と理知に基づく同盟関係から誕生するものであり、誕生して欲しいと思う。また、其処に、陰謀、策謀、時に裏切り・・・を、否定するものではないが、それは結果であって、その過程を、衆目に晒すものではないだろう。こそ泥と天才的な大泥棒との違いは、盗まれた事すら悟られないその技術なのである。ドラマ・鬼平犯科帳に、何人かの、大泥棒が登場する。一滴の血も流さずに仕事を完成させる・・・時に、盗んだ「金」を翌日に土蔵の返しておく・・・そんな大泥棒のepisodeも、このdramaの醍醐味である。「政治も、かくあるべし・・・」と、私は思うのだが、諸兄の御意見は・・・?

石原慎太郎、亀井 光・・・さしずめ、今日的悪の巨頭といっていいだろう。勿論、政治的に・・・。この二人を獰猛な鴉に例えれば、橋下 徹は「雀」であろう。得体の知れない「塾」を立ち上げ、何とも得体の知れない極道を集めて「悦」に言っている。夕刻になれば、一本の樹の茂みに潜り込んで騒ぐ立てる「雀」の群れ・・・松下政経塾とは、似ても似つかぬものだろう・・・堺屋太一が音頭を取っていることなどが、新しい「政治」の原動力とはやし立てる向きもあるが、松下政経塾の二番煎じでしかないのではないか。大阪の緒方洪庵塾が、福沢諭吉の早稲田を生んだ・・・と論じる御仁もあるが、これは、福沢諭吉の言論活動を評価すれば、納得できないものでもない。しかし、橋下徹の維新塾は、安っぽい派手なperformanceで形だけを整えたものであり、その中で学ぶ者の姿も見えてこない。塾性は、それなりの負担を強いられているので、少なからず不満が生れ、橋下 徹との醜い裁判沙汰が待たれるくらいのものである。

石原、亀井、そして極・右翼の平沼・・・満州帝国ならぬ、阪神帝国でも造るつもりか・・・その主張する政治・政策が露呈すれば、これが、「烏合の衆」でしかないことは明らかである。橋下徹尾を除いて、それほどの時間は与えられていない・・・何があっても安心かな・・・と、思うのは、彼等に残された寿命の故であり、国民も、それくらいの醒めた目でみているのではないだろうか・・・私の思う所である。
今の所、名古屋がおとなしい・・・反自民を掲げた河村市長と、反自民を掲げた大村県知事・・・かれらが、もし、この泥舟に乗ってしまえば、呉越同舟どころではない・・・そのまま、海の藻屑であろう。

恐らく、橋下徹が、石原と会えば、亀井との距離が広がる。亀井と会えば、石原との距離が広がる。そして、平沼の詭弁が冴えれば、河村・大村の出番はなくなる・・・名古屋の県民・市民は、大阪の市民・府民ほどには、軽佻浮薄ではないと、私は思うから・・・新日鉄でさえ、そのトヨタの前には平伏せざるを得なかった・・・今も、得ないのではないか・・・名古屋市民のnationalismである。東京都の、あの距離で「名古屋場所」を得た実力でもある。小田信長のethosは、今も健在・・・石原、橋下・・・とりわけ亀井の馬鹿振りをとくと拝見させてもらおう・・・恐らく、野田内閣の粘りの勝利になり、小沢がはじかれ、大保守党の誕生になり、社会党共産党の、さらなる凋落が生じるだろう・・・・。