駅弁大学ここに極まるか?

高校生・・・勿論、日本の高校生・・・が、日本の大学をpassして、直接、アメリカの大学を受験するcaseが増えているとのnews。増加率として・・・の話なのだが、今後も増える傾向にある・・・と言う。
先日、ハーバード大学の学院生が、30人程、東日本の被災地を訪れている様子が、NHKに紹介されていた。その中に、日本の青年も含まれていて、流暢な英語で、議論・討論をしていた。このtourを企画したのが、一昨年に入学した日本人学生・・・女性・・・だという。
この大学、マイケル・サンデルの「白熱教室」として、最近は夙に有名であるが、2,000人を超える受講者の授業・・・と、言うより講演会・・・が、映像でも楽しい。「正義を語ろう」のDVDは、時々、何度視聴しても楽しいものである。どんな「theme」でも結論は出ない。受講している学生も、それをTVやDVDで視聴している私も、結論を期待してはいけない。求められるのは「考える事」そして、「論じる」ことである。森羅万象に結論はないのだから、何事にも「結論」を欲しがる、私達・日本人のethos方を疑うべきなのだが・・・結論がない話を面白くないと評する友人は多い。
被災地を訪れた学生達・・・海兵隊を退役した、元軍人もいれば、再度のbusiness chanceを根らる、実業家もいる。また、人道支援で世界に貢献すると豪語する学生もいる・・・多士済々。議論・討論の映像が少なかったのが残念だったが・・・・移動のクルマの中、電車の中での対話風景に、院生らしい品性が漂っていた。「目標が高ければ、人間の品性も高度なものなるのだな・・・」と、その映像に感じ入ったものだった。この様な映像が多く流れるようになれば・・・お馬鹿タレントの、馬鹿芸にしかChannelを会わせない若者には無縁のものであろうが・・・日本人・若者の、海外大学への指向も強くなるのだろう・・・そんな事を感じた。そして、今朝のnewsである・・・「日本は、良くなるよ・・・」と、夙に語る私だが、その意を強くした。

私は、昭和30年に、北九州の鉄鋼企業に就職し、圧延現場のengineerとして配属された・・・ちなみに当時はまだ、line man, workerは、随時採用。事務職(engineerを含む)が、定期採用されていた。工業高校卒だが、4年後には、中学校のclassmateが、学卒として入社してくる。私の場合は、一浪の友人が、5年目に入社してきた。生意気にもなっていたが、彼の部屋(寮)を訪れた時に驚いた。其処には、自費で購入した、主に英語の技術雑誌がびっしりと小さくもない本棚に並んでいた。
私自身も、入社と同時に、2年間の教育・・・大学の教学部程度・・・があり、「俺は勉強したのだ・・・」の自負を持っていたのだが・・・5年目ともなると、傲慢さだけが成長の証だった。まだ、酒に親しんではいなかったが、喫茶店に、新学卒の青臭い議論を横目で眺めていた。が、彼らが、その生活の中で、どれほど学んでいるかを知ったのは、この、かつての友人の、寮の部屋だった。そう言えば、新入社員の頃は、色々な技術論のガリ版を頼まれたものだったことを思い出した。外国・技術文献の翻訳が、彼等の大事な勉強だったのである。
そして、話し方(議論のmanner)も、知識も、そして、色々な判断も垢ぬけたものを感じさせられた。都会の大学でなくとも、そこそこ一流の大学であれば、senseの良い、人間のお付き合いがうまれるのだろう・・・同輩と語り合ったものだった・・・「俺達も勉強せんとあかんな・・・」などと、覚悟だけを口にしながら・・・。そして、幾星霜・・・・
word processorが導入され、この高額な機械に慣れ親しんだ若者は少なかった・・・そして、新人学卒・・・もう、高卒を事務職で雇用する時代では亡くなっていた、高卒のlevelが相対的に低下していたのだと・・・人事関係者は語っていた・・・への導入教育が始まっていた・・・直ぐにpersonal computerに交代するのだが・・・。
2,3日の講習会・・・大まかなoperationの説明が終わると、実際の入力の指導である。当然textが必要になり、「各自持参するようにと・・・・」。そして翌日・・・彼等の手には、「漫画本」があった。これが、「駅弁大学」の卒業生か・・・と、同僚と嘆いたものである。
かつては、東大、京大、東工大、東北大・・・錚錚たる大学の名前があったが、その頃は、大家荘一名付けた「駅弁大学」の卒業生も少なからずいた・・・当時は、余程の人材不足だったのだろうか・・・。喫茶店にたむろして、口角泡を飛ばして議論する新入・学卒社員の姿が消えて久しいころではあった。馴染みの喫茶店の古株のwaitressも、懐かしい光景として語る時代ではあった。

こんな光景を懐かしく思い出している私にとって、昨今の就職難・・・私には、「採用難」にしか見えない。可なりの規模の企業が、幹部候補生となる学生の採用枠の半分を海外の若ものに当てるというnewsも聴いた。反面で、海外指向を嫌う、若い社員が、TVに問題視されていた・・・結局、その様な無難な若者だけを採用した企業の責任でしかないはずなのに・・・若者を責める大人の無責任である。

日本の大学を回避して、アメリカの大学に直接挑戦する・・・恐らくアメリカだけではないだろう・・・・若者。彼等は、日本企業の採用を拒否しているのだろうと、私は考える。反面で、つまらない学生・若者が日本に残り、安穏と日々を送る。そして、彼等に、手厚い福祉の手が伸びる・・・「働かなくても食える・・・」、そんな日本の誕生になる恐れはある。
しかし、人間を財とするならば、決して「悪貨が良貨を追放する・・・」ことはない。常に、良き人材が恵まれ、悪しき人材が追放される・・・「能力に応じて働き、必要に応じて取る」・・・こんな馬鹿げたthesisを掲げたのはcommunistである。そんな世界は、自らが「奴隷」とならない限り、生きては行けない・・・カントも同じことを言っているのだが、余り喧伝されない。弱者とは、健康な身体を持てあまして怠惰な日々を「自由」と思い、「平等」を求める人間のことである。不自由な身体で、懸命に生きる人を「弱者」と呼んではならないのである。

高校生が、日本の現状に失望して・・・当人は意識していないかも知れないが・・・海外に学ぶ。「ゆとり教育」の意味も考えることなく、相も変わらぬ「詰め込み教育」に翻弄しながら、学ぶ意志もなく、意識も希薄なままに、日本の大学に遊ぶ快楽から抜けきれない学生達・・・大きな「格差」に絶望する日も近いだろう。
日本中に蔓延した「駅弁大学」・・・ここに極まるか!

・・・・・・・学ばざることの恐ろしさを何時知るのか・・・!
・・・・・・・・・・・・果敢に挑戦する若者に幸あれと・・・!