仙台・高校生の「味噌汁」指導と子供たち・・・・

今朝のNHK newsの中の1scene・・・味噌汁を楽しそうに作り、美味しそうに食べる子供達の姿があった。
書店には、5歳の我が子に、「味噌汁」の作り方を伝授して、世を去った妻を語る手記が、横積みになったと思ったら、数時間後に、数冊が完売していた。今は、父子家庭になっているのだが、もうそろそろ十歳近くになるので、立派な味噌汁を、父に食べさせているのだろう・・・と、想像する。私が10歳、妹8歳で、母が買出し、父が夜勤で留守の時、炊事を任されていた頃を髣髴とさせるものがあった。
何を況や、私は、味噌汁の愛好者である。味噌汁があれば、主食は、ご飯である必要はない。パンであれ、ラーメンであれ、或いは蕎麦であれ、構わない。大好物は、味噌汁に、冷や飯をぶち込んだ「雑炊」。相棒は、嫌がるから、留守の時にしか出来ないのが「難」である。
味噌汁の「具」は、やはり「ジャガイモ」、「カボチャ」でも構わないが、薩摩芋も、仲々乙なものではある。ニンジンは欲しいが、「緑」は、それ程の必要はない。

仙台の高校生・・・家庭保育の専攻だとannounceされていたと思う・・・併設の保育園の子供達が喜んで食べてくれる「味噌汁」を作るべく研究を重ねているらしい。今朝の味噌汁は、ダシで牛味を付けた汁に、仙台味噌を添加して作る味噌汁・・・spoonの先に、仙台味噌を乗せ、その上に、「具」の一つである、「麩(だったろうか)」を乗せ・・・人形の顔の様になる・・・それを、薄味の汁の中で溶かすと「味噌汁」になると言うもの・・・。子供達の「遊びこころ」を擽る効果は十分・・・嬉しそうに食べる子供の姿があった。そして、幾つかの知識も与えられるのだろう・・・「味噌が大豆からできていることを教えて貰った・・・」と、眼が輝いていた。
若い夫婦が、子供を虐めて殺す・・・痛ましいnewsだが、その子供の名前を見ると、満更、結果的に生れた子供でもなさそう・・・中には、そう思えるものもあるが・・・。新しい生命の誕生に一瞬は興奮もし、喜びもあったのだろうと・・・想像されることも多い。それが何故!・・・と、思うのだが、やはり経験不足、子育ての難しさへの無知・・・そして、親への無関心〜自分を育て、成長させてくれた「親」への関心の不足・・・感謝を強要するつもりはない・・・と、母親として為すべき事柄への無知・・・勿論、夫となる人物の評価の軽率さも重なって、悲劇的な結果を惹起するのだと、私は考える。
勿論、自分が育てられた時の環境、時代、そして親の仕草や周りの人々との関わりを知ることは不可能である。弟や妹の様子から・・・俺もあんなに可愛がられたのかな・・・と思うか、妹や弟だけが可愛がられて・・・と僻んでしまうか・・・それは、親の技術の不足であろうが、少子化の現代、年子の様な兄弟・姉妹では、そんな感情すらない。つまり、「人間」を学ぶ事なく大人になってしまう・・・そんな親の悲劇、子供の悲劇が、昨今の社会的悲劇の根底に蓄積されているのだろう・・・そんなことを考える。
せめて、女子高校生に「baby-sitter」の資格を制度化して、それなりの報酬を与え、時に、激励する制度を設けては・・・と、このブログにも何度か書いた様な気がするのだが・・・反応は、殆どない。時には、有名俳優の、「子殺し」事件を引き合いに出して、猛然と反対する人もある。
しかし、その事件の背景には、「子供」を知らないbaby-sitter・・・お手伝いさん・・・の存在があるのではないかと思うが、「子供=親」を最高のsetとして考える方が多い。「教育」と言うことの効果を全く信じない、悲しい、民族的ethosかもしれない・・・時代劇に登場する、長屋の民衆と、その中で、悪さをする子供達・・・大人を学んでいる姿だが・・・その悪さが、大人の真似ごとであることも、映像の制作者は描いているのではないか・・・そんな事が、現実的な現代に生かされない悲しさを、私は思ってしまう。

このnewsの様な、「専攻」的なことではなく、高校教育の中の、大人になるための「準備教育」として、位置づけられたcurriculumになって欲しいと思うのだが・・・・今回も「空砲」に終わるのだろう・・・悲しいことだが・・・。