御前崎市・市長選・・・冷静にして無難な選択か!

結果は、「脱・原発」に当面は慎重なmannerを示した「前職」が当選。私は当然だと思うが、“みのもんた”は、可なり不服の様子・・・「世論調査が云々・・・」と言っていたが、電話番号抽出の世論調査にどれ程の真偽性が問われるのか・・・私は、殆ど茶番だと考える一人である。勿論、結果としての、例えば「反対誘導」の調査に、「「賛成」が多数の結果が現れた時には、その結果は尊重されるべきであろうが、media、芸能人、芸能人的評論家・TV・talent的評論家の言動・発言に沿った結果を示す結果には、殆ど信憑性はないと、考えるべきだろう・・・と、私は考える。何故なら、電話番号抽出と言っても、ケイタイは不可能だからである。電力がなければ廃業しなければならない「重工業」に働く人々が、簡単に「脱・原発」を云う筈がない・・・何故なら、彼等は応分に科学者であり、「文明に後づ去り・・」が、許されるものではないとの信念は固いと、我が身を振り返っても思うからである。但し、極めるべき安全は、極められなければならない・・・そして勇断を持って邁進する・・・それが、科学と言う文明の中に生きる我々の覚悟でなければならないのである。
先日、タイタニック事故の関わる一つのdocumentと、一つの討論番組を視聴した。面白かったのは、この船が、当時の新技術であり、安全に関わる、諸装置も装備も、当時に置いては最高のものだったと言うことであり、3等船客の隔離も、当時の医療知識・技術では、当然の事として認められていたと言うこと等、「氷山」に衝突して沈没したことを持って、この船の存在を否定することは出来なかった・・・であろうことを考えた。
技術とは、その時代の象徴である。そして、危険性が分かっていても、それを避けるに万全の処置は、対策は、その安全性が崩れた時に、考えられるものである・・・と言うこと。その意味で、原発事故も、現代のタイタニックであったことを、私は思う。
タイタニックは、アメリカ移民の3等船客すら喜ばせた・・・しかし、事故の原因は、全く違った所に発生した。しかし、「氷山」は予想されないものではなかった・・・放射能の様に・・・しかし、無線通信が、その安全の為に寄与していたら、救難信号のsystemの運用が厳格であったなら、救命ボートが船の規模で準備されるのではなく、乗船客数で規制されていたら・・・すべて、人類が、タイタニックの事故に学んだものである。前に、御巣鷹山に激突した旅客機の「隔壁」事故を述べたが、安全・思想からすれば、全く重なるものであろう。製造現場での事故死が格段に減少したのも、あまり評価されないが、戦後の日本の目覚ましい実績なのである。飲酒運転、あるいは、暴走運転に依る事故死、そして自殺が、昨今、大きく論じられるのも、その安全性の向上の故であり、文明のしからしめるものなのである。しかし、近代文明の手が伸びにくい分野が「孤独死」「孤立死」、そして、親の子供殺傷なのである。しかし、これとても、「建前」だけの論議を好む、芸人的、talent的、報道のしからしめるものではないか・・・大事な事を論じる事なく、表面的な問題把握と、人気取り的commentで、死を悼むことなく、「社会」という、非人間的な存在に任せてしまう、この列島に住む人間のethosであろうと、私は思う。
「農耕民族」的ethos・・・美しいものである、しかし、一つ「渇水」が生じれば、其処には殺戮の嵐が吹き荒れる・・・議論して、よりよき対策への思考を論じる風習・習慣がないからである。そして、首長を選んで、それを「人身御供」にして安堵し、問題の解決に至らないことに激怒する・・・幸いcharisma的leaderが生れなければ、皆一緒に滅びることを厭わないethosではある。
今回の御前崎市長選・・・charisma的主張・・・脱・原発(再開反対)・・・を掲げて戦った候補者もいた様だが・・・訴える所は少なかった。脱・原発に、大きな代償が伴うことを忘却していたらしい・・・。タレントの言動に惑わされる時に、往々にして生じる現象ではあるだろう。もし、原発の全炉廃止を国民投票に掛ければ、結果は伯仲するだろう・・・私は、予想する。国民を二分するが、私は、反対派(脱・原発)には、感情的説得は可能でも、理知的な説得は難しい、否、不可能だろうと、予想する。御前崎の住民は、賢明な選択をしたのだと、私は評価したい。