孤立死対策と言うこと・・・

戦後とは、「個」を確立する歴史でもあった・・・と、何処かで読んだ記憶があるのだが、誰が、何時というのははっきりしない・・・あるいは、高島平団地の、白亜の、当時はapartment houseと呼ばれた、集合・個人住宅の出現の姿を新聞や、gravureに見た時だったかも知れない。
私の後輩が、きちんとした社宅が得られずに、3家族同居の、借り上げ住宅(社宅)に、共同炊事場、共同便所の生活を強いられていたころだった。数年後に、この社宅も姿を消すが、その頃には、マイホームブームの先駆けの時代に入っていたと思う。
しかし、戦後の2DKの社宅apartment houseに、5人の子供と夫婦の7人家族の先輩がいて、一時、故郷の両親が同居していた頃は、家族が寝静まった時間にしか帰宅できないと、こぼしていた・・・今の、その姿を髣髴とさせる。
つまり、親子の2世代家族への道も容易ではなかったのだが、それまでの、3世代同居、4世代同居・・・と、言うより、大家族制度に固執する前・前世代の因習に苦しんだ、当時の、その時代の世代の苦悩が沢山存在したのである。
今、「孤立死」を論じる論者、識者の中には、その時代の経験を持たない己を恥じる事なく、その時代を美化してかたることが多い。特に、今回、地震津波に襲われた地方を含めた東北農村部の「嫁」問題は、その嫁を助けるべく幾多の知識人・女性の活動があったかも、忘れられている。その一端が、「農村歌人」と言われた、埋もれた歌人達の歌で残されているはずなのだが、もう世間から完全に忘れられ、語る人もいない・・・その時代は、孤立死はなかった。しかし、「嫁」の悲惨な状況があり、自殺紛いの死も多かった筈である。しかも、その境遇を一挙に抜け出したのは、若い、農村の嫁たちが、農産物不況を克服すべく始めた「花作り」だったことすらも、忘却の彼方に消えようとしている。
親世代との同居をしないで、夫婦、あるいは、親子だけで暮らせる生活に大きな満足を得た世代が、時に、そのapartment houseで孤独死をしている・・・そんな風景ではないのか・・・自業自得と冷たく突き放す御仁がないわけでもない。しかし、「孤独死」を論じる時に、捨ててはならない視点ではあるだろう。
政府におんぶされ、だっこされなければ生きていけない農村・・・そんな状態に切歯扼腕した農村の嫁たちが立ちあがった・・・私の近くの、半農の嫁たちも例外ではない・・・今は、農村産物の地産地消が常識になっているが、その風潮も、この農村の若い嫁たちのvitalityが生みだしたものであり、古い農村が捨てられる兆候でもあったのだと、そして、農村の嫁が美しくなり、元気になり、農村社会の主役に踊り出た・・・と、私は思う。
そして、家族の規模が、2世代を基調とするようになり、自ら、「古い習慣」に固執して、言うなれば、「粗大ごみ化」した老いた世代は、施設に、病院に、あるいは、殆ど無人の大きな家での孤立化が始まったのである。それでも、己の財産を守るために、村の、集落の廃頽を他所目に、己の孤立化の危険を思うことなく、ある日、孤立死する・・・それが、比較的、中都市や、都会の片隅で頻繁に見られる様になって・・・今日がある。
「今」とは、今の以前に生じた波の結果である・・・己の作った波(孤立死もそうだ!)は、次の世代で、顕著になり、それが現在の社会問題になっている・・・結局、過去に還って解決の方法はない、「今」の波を被っている世代が、己の力で、その壁を突破するか、試みるか・・・あるいは、私の様に覚悟を決めるか・・・今、行政が、地方あれ、政府であれ、それに耳を傾けることはないだろう。何故か、「無知」なのである。過去へのnostalgiaに溺れて、春眠をむさぼっている・・・若者の春眠・・・その報いを受けるのは、半世紀も先である。それを論じる必要はない・・・。
直近の孤立死のnewsでは、近所の方が、行政への見廻り依頼をしていたのそうだが、「行政の世話にはならない・・・」と、そのお節介を自ら禁じたと言う・・・可愛らしくない高齢者だったわけである。将に自業自得なのだが、死者の責任として論じる人はいないのだろう・・・それが、また、新たな孤立死を生む原因にもなるのだと思う。身に危険を感じる様になったら、御近所や友人に、自宅を、常時開放しておく位の「度量」が必要だろう・・・もし、相棒に先立たれたら・・・と、考える時の、私の覚悟である。綺麗事は云わない・・・ただそれだけのことなのだが・・・。白骨となった我が遺骸の始末をしなければならない行政の方々への、僅かな心遣いがあってもよいのではないか・・・諸兄の感想は如何・・・。