「ゆとり教育」からの決別・・・

ゆとり教育」・・・提唱した、時の文部大臣の意志が、十分に理解されないままに、時流は、彼を「悪人」と位置付けてしまった・・・と、私は感じている。私は、9歳で、戦後を迎えたのであり、日本の敗戦が、被支配植民地の解放を齎したのは云うまでもないが、私自身も、戦中の教育から解放され、植民地で狼狽する、昨日までの教育ママの桎梏から解放されたのである。日本の敗戦の報に、一滴の涙も出なかったのは、幼きが故ではない。この解放感に他ならない。
そして、引揚げて来た日本の小学校・・・classmateは、全く私の敵ではなかった。家に帰れば、そこには、10歳の少年のやるべき仕事は山ほどもあり、夜は、蜜柑箱の机に裸電球で、予習復習に余念がなかった。仕事も沢山あったが、学ぶべきことも沢山あったのである。少年時代とはそんなものだろう。また、教師も、土曜日には、宿題を沢山命令していた・・・私の担任・女教師は、書き取りが好きで、200字から始まって、学年末には、2,000字を超える漢字の書き取りを命じた。今も指に残る「こぶ」は、その時のものである。今に思えば、60人超の子供のnoteに、訂正を加え、書き方の間違いを正し、形の悪い字は正しく添削し・・・教師も大変だったのだろうと思う。大家のお嬢さんだったはずだが・・・悪童の汚い字と悪戦苦闘された姿を髣髴とする。
仲良しだった子がある日、「一」の字だけを数百字書いて提出した・・・果たして先生は・・・にっこりほほ笑むと、見たこともない難しい漢字を“一字”示して、これを数百字・・・と、次の土曜日に命じた。社会人になったある日、街で出会って思い出話に華が咲いた時、その漢字は今でもすらすら書けると自慢していた。教師とは、子供に、それ程の影響を与え、残すものだと、二人で楽しい思い出に耽ったものだった。

アメリカだったと思う。地方の名はわすれた。金曜日の午後に、教師から宿題が出される・・・その宿題が凄い・・・何故か、ドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んで、思う所を論じよ・・・と云うもの。小学生の低学年には、もう少し易しいものらしいのだが、小学校高学年〜中学生には同じ問題であるという。いわゆる感想文ではないのである。その文学の何処に、何に、誰に、あるいは記述の内容や文調に・・・その選択は子供に任せられる。時間は、金曜日の午後から日曜日一杯である・・・・この大文豪の小説に初めて出会い、まともに読んで書けるものではない。日頃の読書がものを云う。
そこで、子供から、代案のnegotiationが始まる。自身の読書歴の中から、図書を選んで、教師の承諾を取るのである・・・・これも、日頃の読書の分量、内容がものを云う。私は、子供以上に大変なのは教師・先生だろうと、それを聴きながら思ったものである。少なくとも「代案」を承認するには、自身も、その「著書」への知識も必要だし、自身が読んだ体験を持っていなければならず、もし体験がなければ、自身も子供と同じ様に読まねばならないのである。つまり、子供に宿題を与えることが、自身に宿題を与えることにな・・・・

文部省の提案した「ゆとり教育」・・・の最大の瑕疵は、教師の力量を文部省が過信したことにあるのだと、私は理解した。今回、土曜日の授業の再開は、日本の教師の、どうにもならない状況を具現化したものであろうと、私は断じる。これ程の教師が、現在の教育界に何人そんざいするのだろう・・・心もとない話である。かつては、大家のお坊ちゃん、お嬢様が教師になっていたのであろうから、それなりの家庭で「素養」を恵まれた人物が教師だったのだろうと、件の女・先生の姿を思い出しているのである。良い時代に育った、幸せな少年だったのである。

私の街(福津市)に、イオンがオープンした・・・私が嬉しかったのは、「未来屋書店」の出店だった。Pre openに駆け付けて、初めての体験である、未来屋書店に足を運んだ・・・百冊近い「岩波文庫」に、涙が出るほど嬉しさを思った。この街に住んで50年・・・やっと、岩波文庫が本棚に並ぶ書店が誕生したのである。
勿論、新書なども、それ相応に揃っている様である。北部九州の、旧宗像郡、粕屋群一体に、私の知る限り、書店らしい書店の姿はない・・・最近はnet購入が多いが、現物を手にするのは、博多まで出掛けなければならなかった。嘗て、北九州の大学に聴講生として学んでいた頃、講座の教授が、東京から赴任してきて「書店」の無いのが苦しいと零していたことを思い出していたが、飲酒運転、暴力団・・・この根源に、この地域の「文化の乏しさ」があることを論じる識者は少ない。最近は随分と街の空気にも変化があるようだから、飲酒運転も暴力団騒ぎが収まるのも、時間の問題ではあるだろう・・・。期待はしている。

そして、「文化の匂い」の根源は、「教師」であることを、教育の問題として論じる識者も少ない。恐らく、教師の酒おび運転も、この北部九州が、全国の上位をしめているのではないか・・・私の推察である。

話がずれた様だが、さにあらず・・・・「ゆとり教育」の発育不良は、その原因を「教師の発育不良」に起因していることの認識なのである。子供に勉強させられない。教師と言う権威がなければ、子供のlevelが上がらない・・・ならば、24時間、傍に付ききりであれば、向上するか・・・それは違う。教師の素養を育てる街の環境があって、子供に、その素養を惜しみなく注ぐ情熱が教師にあって、子供に注がれた教師の素養・・・愛情に溢れた・・・を生かす家庭の環境があって・・・貧しくても、いや貧しいが故に・・・初めて、子供の学力(能力)・知識(肉)、知性(血)となるのである。
18歳にもなって、大学生にもなって・・・クルマを走らせる以外に為すことのない人間・・・結局、「脳」のない人間を育てているのである。ゆとり教育からの決別・・・そして、学力偏重教育の復活・・・人間性の凋落が、死刑囚を増やすことになるだけかも知れない。字が書ける。計算が出来る・・・それだけでは、光市・母子虐殺の少年を増やすことにしかならないのではないか。死刑台を忙しくする「教育」・・・「ゆとり教育」への指向が、教師の教養・資質の向上への動機とならなかったことを悲しむ一人である。