文明というもの・・・・背を向けて逃げてはならぬ!!!!!

昨日、NHK・教育の高校講座で、「電気」の授業をやっていた・・・実は、「発電」の原理が、まだ十分に理解できない私なのだ・・・・
何でもelectricと言う言葉は、紀元前600年にはあったのだそうだ。語源は、「琥珀」。当時から、色々なaccessoryを琥珀で磨いていたのだそうである。その時に、小さな埃が、付着することに気が付き、それが後に「静電気」であるとされた・・・と。高が静電気と言うなかれ、TV・授業の中でも、小さなdrierを回したり、ラジオ(の様なもの)を鳴らしたり・・・面白い実験がいくつかあった。因みに、「琥珀」のことをelectronと言うらしい。

時は過ぎて幾星霜・・・・1890年頃には、フランクリンが、雷の正体を明らかにする・・・と言っても、その正体を「ライデン瓶」の中に補足しただけなのだが・・・因みに、「ライデン」とは、オランダの地名。この地で最初に、静電気の実験が行われたことに因むものらしい。

云いたいのは、電気の正体が分かり始めてから、フランクリンが、その正体を衆目の前に明らかにするまで、1,000年以上の時間が必要だった。恐らく、「雷」が伝記であるらしいと言うのは、ず分と早くから、知る人には知られていたのだろう。日本でも、江戸時代に、平賀源内が、興行として成功している話がある・・・知識があれば、怖くはない・・・どころか・・・稼ぎの道具にもなるのだが、大衆は、怖いとなれば、近づいてみたくなるものである。江戸の末期か、明治の初期か・・・電線の下を通る時は、頭に扇子を翳して魔よけにした話は、今では笑い話のネタにもならない。

しかし、京都の琵琶湖導水を利用した発電が行われる様になり、電気が照明として使われ始めた時、人々は、その危険性をどの程度認識していたであろうか・・・恐らく、その無知から、幾多の人々が犠牲になったのだと、私は思う。文明の伝播が遅かったが故に、また、無責任なmass communicationの存在が拡大していなかったが故に、しずしずと、その文明は、社会の中に浸透した・・・・これが、文明と云うものである。

製鉄技術は、中国から朝鮮半島を渡り、日本に伝えられた。3世紀ころまでは、日本の朝廷は、「鉄片」を得る為に大量の「奴隷」を朝鮮半島の朝廷や中国大陸の朝廷に拠出していた。その一端が、中国東北部に立つ、「広開土大王碑」の碑文の中にある・・・と、主張する歴史学者もいる。
しかし、豊臣政権の頃には、日本から中国・明へ、大量の「刀剣」が輸出されていたと言う。もう中国大陸では、「鉄鋼」を製造する能力を喪失していたのである。そして、黄土地帯が拡大し、鉄鋼製造の地域の山は「はげ山」化したとも・・・・また、朝鮮半島の緑は乏しい・・・オンドルのせいだと言われるが、実は、製鉄業に必要な「木炭」製造の為の「伐採」が原因だと説いたのは「梅原猛・・・」ではなかったか。
製鉄に木炭は欠かせない材料である。日本列島では、山の伐採の後では、必ず植樹を行う・・・これは、山に神が宿るとする信仰と無関係ではない。伊勢神宮の20年毎の遷宮も、この植樹の成長に合わせた「御柱」の切り出しがあってこそ可能なのである。つまり、日本の「山」は、伐採後の手入れを怠らなければ必ず「再生」する・・・戦後の復興も、戦中に荒れた「山」への植樹の努力である。天皇が率先して植樹をされる姿・・・これこそが、「神国」としての日本の姿であると、また私達の心に深く潜むethosでもあると、再認識されるべきだろう。再生されるenergy・・・これが、我が国土の命でもあるのである。

しかるに、近代産業のspeedは、この自然の回復力を大きく凌駕するものである。寧ろ、永久循環をすら要求する様相である。石油も、時間のfactorを膨大に拡大すれば、あるいは、回復する資源であるかもしれない。イギリスの産業革命のenergyは石炭だった。アメリカの産業革命のenergyは石油だった・・・と、言ってもいいだろう・・・。遅れて先進国の中間入りした日本は、その両方を上手に使い分ける、産業革命の道を探った筈である。しかし、電気energyを水力に頼るには、その将来に陰りが見える。石炭も、その採掘にはcostが掛かり過ぎる、また、露天掘りの不可能な条件は、如何ともし難い・・・そこで、「石油」への転換を計り、そして世界に伍していくための方策・・・それが、近代化に邪魔になる過剰人口の輸出・・・移民・・・に走った。その結果が、先進国との軋轢を生み、中国大陸、朝鮮半島への侵略となり、原子爆弾という、最先端科学の「核」の洗礼を蒙ることになったのである。
もし、日本列島に生き続けた我々の祖先、先輩の存在なかりせば、この列島は、中国大陸、朝鮮半島の歴代王朝に依って荒らされ、現国土の70%を超える「緑」も、殆どが「はげ山」化しているだろう・・・と、私は想像する。中国大陸王朝、朝鮮半島王朝に、国土を利用しながら、復活させ、循環させる思想は皆無であるからだ・・・つまり、大陸・半島は「奴隷」的な国家経営を常とし、僅かな国民の知恵すらも、生れる国家・国土ではないのである。

今、我々は、100年後、500年後、いや1,000年後のenergyの問題に晒されていると考えるべき時期にあり、我々の理性、思想が、自らの子孫の命運を決めようとしているのである。我々が、いま、水、緑の豊な列島、国土に生きているのか、生きられるのか・・・現在の我が身を犠牲にしてでも考えなければならない。安心して「外科手術」が受けられる。疱瘡を恐れなくなって久しい現在は如何にして存在出来ているのか・・・我々自身が、如何に多くの御先祖の知恵と勇気に支えられているのか・・・一日の中の「一秒」ほどでも考えるべきではないのか・・・。

この列島が、かつては中国大陸から分離した・・・深い地下では繋がっているはず・・・ことを持って、「原発」の設置の不可能性を叫ぶ、浅はかなcommentatorもいるし、科学者も存在する。しかし、中国大陸から離れたからこそ、現在の、この列島の存在があり、その住みやすさが、資源の不足を克服する努力と相待って、今日の文明を築き、存続させ、世界に貢献しているのである。

文明とは、50年、100年のスパンで軽々に判断してはならない。勿論、急ぎ過ぎてもならない。急ぎ過ぎる危険を排除しながら、長期への視点を、自身をもって確保し、冷静な討論、議論を行い、研究に生かす・・・その陰で庶民・・・大衆ではない・・・の、無駄を省く努力が、科学に十分な時間を確保する・・・この協力関係こそが肝要であり、我々の存在の意味でもある・・・・と、私は思い、覚悟もする。

ヒマラヤもアルプスも、誕生の経緯は苛酷である。8BIT personal computerで、現インド大陸の誕生を計算したことがある。10億年だったか、数億年だったか・・・中国大陸南部、インド大陸も、その地下は、活断層の巣であるだろう・・・所詮、地上に危険な構造物、科学設備を持たざるを得ない人類の挑戦をまっているのである。この挑戦から尻込みする民族・国家の未来は暗澹たるものであろう。今、国土の荒れている国家は、「奴隷」国民の存在が、その原因である。いま、、国民が「奴隷」と指向する国家は、必ず、断末魔の声の中に滅びる運命にある。何故なら、滅びる方が、人類の為になるからである。答えは、21世紀中には、勿論でない。しかし、22世紀、25世紀の日本が存続しているか、まだ努力の過程にあるのか、はたまた、我々の子孫が「奴隷」として存続し、哀れな表情を見せているのか・・・それは、今を生きる我々次第である、と、覚悟すべきだろう。