常識の域内・・・と言うこと・小沢裁判。

「無罪」・・・想定の範囲である。「共謀・謀議」の立証は難しい。ニュルンベルグ裁判、東京裁判も、審理の中心は「共謀の有無であり、謀議の存在だった。映画・「謀議・・・だったと思う」は、ユダヤ人絶滅の方法や、その範囲を討議する内容だが、政治家と科学者、民族学者が、数十人集められ、ナチの指導の下に、ある避暑地の別荘で、一ヶ月近くの軟禁状態の中で行われる・・・そのdocumentaryだった。ヒットラー自身に、僅かながらユダヤ人の血が混ざっている懸念があるので、4等身か、6等身か、はたまた8等身か・・・結局、6等身でアウシュビッツが発足したのだったと記憶する。そして、数人の学者が、直後に自殺に追い込まれる・・・不本意ながら、そのmemberに選ばれたことが、そもそも命取りだったのである。
閑話休題・・・中島義道の近著によると、臆病なヒットラーは「血」を見るのを極度に恐れた。それ故のアウシュビッツ・・・つまり、毒ガス殺人は、彼の慈悲だったのだと・・・。3人の秘書に全ての罪を被せて、あるいは負わせて、自らは「無罪」の潔白を主張する神経と“大差”はないのだろう。もし「馬鹿者の博物館」があるとすれば、私は、この3人の秘書を最大の売り物として展示するだろう・・・片や東京裁判では、「謀議」を厳しく定義すれば、天皇の起訴に繋がる。アメリカも望まないことなので、かなりあいまいな「謀議」の定義になったのではなかったか・・・と、私は思っているが、東京裁判に関わるものを余り読んでいないので、明確には、記憶がない。しかし、「謀議」とは、犯罪を立証する重要な要件であることは間違いない。今回、小沢裁判の特捜の起訴が、その点で「甘かった」ことが、今回の「無罪」の結果になったのであろう。
しかし、「4億円」は・・・・との疑問を持つ国民は多いし、私も変だと思う。しかし、今回裁判の争点が「謀議」の有無にあったのだから、結果を疑ってはならないだろう。むしろ、裁判も、あとは、国民の判断・・・と、諦めての判決なのだと、私は思う。

共同謀議が立証されない裁判・・・これに賭けた特捜の作戦が、身の丈を超えた選択・・・つまりは、ボタンの掛け違いだったと、私は思う。田中角栄の犯罪は、アメリカの司法が在って可能だった・・・「嘘、虚偽」を嫌うアメリカ人のethosがあって、日本が一瞬ではあっても浄化されたのが、ロッキード裁判だった。その中で、小さな虫が生き残った・・・鬼平が取り逃がした小者の判事が、今回の「4億円」である。田中・金丸に比べての「小者」振りが見えて面白い。日本の政治犯罪が、ここまで「小者」化していたのかと、私は嬉しくなる。「一事不再理」の原理で、再審はない。しかし、何かにつけて、「故事」として語られ続けるだろう・・・真面目な市民の記憶には残るであろうし、歴史ともなるからである。たかだか4億円・・・小沢の「小者ぶり」を笑って、この裁判・・・終りにしよう!