原発より怖い・・・夜行バス

居眠りバスが、防音壁に突っ込み、バスのbodyが引き裂かれる・・・そこには乗客が安眠中・・・運転手までもが安眠中・・・何をか言わん。
規定では、走行距離が670Kmeterを超えれば、運転手を二人にしなければならない・・・と、なっているそうだが、それは、日中の運転状況を前提にしているのではないか・・・景色の変化に乏しい高速道路、運転のvarietyの少ない高速道路・・・・乗客が眠気を誘われる様に、運転手も誘われるだろう・・・そして、覚醒を促しているのは「責任感」だけである。しかも、その責任感も、その責任の重さを自覚する、あるいは自覚を持続する気力と、これまた責任感に追わなければならない・・・殆ど、人間の精神的な体力の限界を超えるものに、規制そのものがなっていたのではないか。規制の精神が、此処までなら大丈夫と言うものであったのか、最低限、此処までは守れと言うものであったのか、はたまた、全ての、環境、運転手の人格、体調・・・等などの条件がclearされた時の規制であってのか・・・今後の検証が必要だろう。ただ、乗客が、「安物」に飛びついた「非」は、それなりに引き受けねばならないのではないか・・・30年間の出張の多い業務の中で、夜間飛行(night便)は使っても、夜行バスは決して使わなかった私のpolicyの言わせるものである・・・私の文意に非を唱えたい方の配慮を望むものである。

私の指摘は二つ・・・・
①防音壁、guardrailの構造の改良・・・・
・・・今回事故を激化させた原因は、防音壁が、直線的に配置されていること・・・バスを引き裂く構造と言った方が分かりやすか・・・少なくとも、バスが衝突した時、バスの先端・・・誤運転・・・に、防音壁の先端が喰い込まない構造・・・少し、バスを道路側に押し戻す構造になっていて、バスの運転手の覚醒で、多少なりとも、運転の修正が可能になる構造・・・文章だと、分かり難いが、防音壁の先端が、バスを柔らかく受け止め、そして停止を促す・・・その時、多少、バスを道路の法にはね出さない構造と説明すれば良いか・・・もっと分かりやすく言えば、防音壁の先端を「ばね構造」にすると言うことである。
②防音壁の手前のguardrailの構造をバスの走行を制限する為のものであるとの認識から、防音壁の役割を、専ら防音に限り、道路から距離を置き、バスの運行の修正は、すべてguardrailに任せる構造にすること。
・・・・・・・・・の2点である。つまり、あの位置に防音壁がある必要はない。むしろ、居眠り運転のバス、あるいはクルマが、guardrailに接触しながら、運転手の覚醒を待ち、あるいは、運転の修正が可能になる時間を稼ぐべく考慮されるべきだと思うから。

今回事故の教訓は多い。そして、事故の原因は、今日まで拡大してきた自動車社会の中で醸成されてきた「常識」が、常に孕んでいた「事故要因」でもあったのあが、命の損失も少ない間は無視される。多少の犠牲は、文明社会では当然である・・・とのconsensusの下にあったと言うべきである。
今回事故は、それに「安さ」が拍車を掛けた・・・・つまり運転手への苛酷な労働条件を「事故誘因」として捉えていなかった、利用者の意識がある。時々発生するタクシー運転手の脳卒中等もその一つだが、方法は、現在の所、当人の健康管理しかない。これとても完全は期待し難い。しかし、新幹線の安全性が、そのcostを利用者が負担していることを、我々は、もう少し深く考えるべきだろう。新幹線、あるいは飛行機に比べて格安だから・・・それは、己が命を「安く」見積もって行動していることになる。
私自身、一般道路を時速200キロ近くを堕して、しかも運転手の酒を飲ませて、深夜の国道で大事故を起こした経験者である・・・その時の脊椎の後遺症には、今も悩まされ、いあや、日々、日夜警鐘をならされている身である。その私が、名神をほぼ同じ速度で走ったことがある・・・勿論タクシー・・・その時、直ぐに感じたのは、「道路の精度」だった。道路の平滑度といえば良いか・・・穏やかな空を飛ぶ飛行機の様な気分を味わった時の感激は大きかった・・・時々、深夜のタクシーで帰宅するとき、郊外のバイパスを利用していたが、道路の精度は一般道並みなのに、運転手が100キロ近いspeedで走ることがある・・・その時、私は、この時の体験を語ることにしていた・・・運転手のほぼ全員が、60キロ近くまでspeedを落とすのが常だった。
事故の運転手・・・バスにしては速度も超過していたのではないか・・・高速道路では、例え外を眺めている客が居ても、そのspeedを感じることはないだろう。夢の中で、早く付きたい、運転を終わりたい・・・そんな気持ちが、speed感を麻痺させる・・・しかも、一度、その醍醐味を味わえば、事故を惹起するまで、習慣化するだろう。原発事故に云われる、「安全神話」である。

この事故、殆ど、高速道路も、バスも、初めての体験だろう。それだけに学ぶものも多い。危険を予見して事故を未然に防いでいる企業も、他山の石として、更なる安全を確保してもらいたいと思うが、少なくとも「防音壁」の瑕疵には、注意を払うべきだろう。人間が、経験・体験無くして学び得ない「重要な事例」として、受け止めるべきだろう。
更に言えば、防音壁が存在しなかったら、バスは、下の道路に転落していたのではないか・・・防音壁の頑丈さに判断が狂っていたとも・・・・私には思える。

観光関連企業の連帯責任が問われるだろうが・・・その安全性を阻害する要因を、spanを広げて真摯に検討し、対策を講じるべきだが、原発の様に、夜行バスの廃止に繋がる議論はするべきではないだろう。人間は、体験しなければ、そして失敗しなければ考えないものである。己を「神」にして、全ての人間の知恵を排斥する・・・そんな奢りは捨てた方が良い。