20代自殺願望を憂う・・・・

「自殺の原因・・・・」。私は、「分からない」としか、答えようがない。
その1;毎日の残業で家族と夕食を摂ることの出来る日が、一週間のなかで、1日あれば、「御の字」・・・勿論、数人の同僚達も同様に勤務しているのだが、そこは「神経の細さ/太さに下があるし、敏感性についても個人差は大きい・・・結局のところ、「上司」の人品が問われることになる・・・そんな同僚の一人・・・ある日、そんな彼が家族と一緒にプールを楽しんでいた・・・もちろん楽しんでいたのは子供だったが、妻は、腫れものに触る様に、疲れの見える彼を気遣っていた。取りとめのない話を数分して別れたのだが、家族サービスに疎い私は、自らの反省を感じたものだった。しかし、彼が、自死したのは、一週間も経ない頃だった。
その2;私は、単身赴任の最後の、机の整理で忙しい一日を終って、しばらくは会えない、親しい商社マンの催してくれた「送別の宴」に出るべく、会議室に、一人何やら作業をしている彼に目線を送って、組織の廃業で寂しくなった執務室を後にした。私は、単身赴任を選び、彼は、単身赴任を拒絶した・・・組織が消えるのだから、「出るも地獄、残るも地獄」の状態は、お互いに了解しているつもりだった・・・少なくとも私は。そして、翌日、二日酔いの醒めやらぬまま、自宅に赴任の準備をしているところに電話があり、彼が自死したことを知った。一瞬・・・「何だと!」と、怒りにも似た感情が走った。
何故なら、私の単身赴任の私の為に、現地の作業環境を整えてくれたのは彼である。来年の夏は、赴任地の夏祭りに招待するよ・・・と、そんな約束もしていたのである。遺体を収めた棺のお供を自宅までした。棺の上に置かれた「腕時計」がけだ、コチコチと、もう必要の亡くなった「時」を刻んでいた。彼の場合も、多少の憶測は出来ても、もう勤続30年を超すベテランである。それなりの修羅場を潜りぬけた高卒技術者である・・・「何でも耐えて見せる・・・」と、盃を交わしながら、強がりを確認しあったこともある・・・それが、何の相談もなしに・・・と、悔しかった。しかし、理由は分からない。
その他・・・数件の「自死」の理由も分からない・・・いや、誰にも問えない・・・と、言う方が正しいのだろう。また、知り得たとして、何の役にも立たない・・・そんな気持ちもある。
*先般の自死の統計・・・一度は自殺を考えたことがあるか?・・・と、問うアンケートで、20代の「Yes」が、最も多かったとか・・・newsになっていた。識者・論者は、現代の弱者切り捨ての環境が影響しているのであろうと・・・その論を展開していた。が、果たししてそうか・・・。私は疑問である。
確かに、「弱者切り捨て・的」発言は、中高年の思考であり、発言でもあるだろう。しかし、それは何時の世も同じなのではないか・・・言わば、戦場の論理なのではないか。そして、それは、各人が、成長の時間の中で、多かれ少なかれ、自分の中に収めてきた「感覚」でもあるだろう。しかし、僅かでも「楽しい事」、「達成感」を感じた時に、その都度、払拭しながら日々を送っているのであり、日々の精進の糧にしているのではないか・・・中高年の自殺は、その努力にも似たenergyの枯渇と疲れの齎すものであるが、若者に、そんなものがあろうはずがない・・・あるとすれば、それは「物まね」でしかない。
しかし、次の様には言えるかも知れない・・・・東日本大震災・大津波の被災地の「瓦礫」の処理・・・それをTVに「他人の痛み」として楽しんだ人々・・・それが、受け入れ・処理に否定的、何が何でも排斥の空気である。各自治体の首長の高邁な精神など「ものともしない迫力」で、拒否する。これで、「絆」等と言う言葉が口に出せるものだと、私は呆れてしまう。
この光景を新聞に読み、TVに視聴すれば、青少年ならずとも、「弱者はいたぶられ、いじめられ、差別され、排斥される」対象なのだと言うことを感じるだろう。「絆」とは、相手の「汚れ、時には穢れ」も我が事として引き受ける、分けあう精神の事ではないのか・・・原子炉の燃料棒を引き受けろ・・・と言っているのではない。被災地現地で処理するに余りあるからお願いしているのである・・・つまり、現地の被災者も同じ「瓦礫」を処理しているのである・・・それが引き受けられない「心根」とは、何処まで、「瓦礫化」した心であり、精神なのだろう。そんな光景を毎日耳にし、目にする青少年が、自らの「弱者」を意識した時「自殺・自死」を願望するのも、むべなるかな・・・論者の言う「弱者切り捨て」とは、この国の国民が、あるいは、全国の市民が、その感情の中に「刃物」を忍ばせて、親切ごかしの実態を物語るもの以外のなにものでもない。

笑顔は見せる。言葉は易しい。義捐金は集まる。救援物資も集まる。救援のvolunteerも、まだまだ多い・・・多すぎることはないが・・・・。一見、日本人は「優しい」との世界的な評価だが・・・しかし、その心根の深い所に「夜叉」を潜ませ、まさに、「画面菩薩・内面夜叉」の様相なのであある。それが、あるいは、貴方の、諸兄の傍にいる少年の「自殺願望」を醸成しているのかもしれない・・・時々、心に問うのも、あながち無駄なことではあるまいと、私は思う。少年の自殺願望・・・考えて見えるものでもなし、払拭できるものでもない。「瓦礫」を拒否する貴方の中に潜んでいるのである・・・・と、私は思う。