2012.5.5・・・・若さと馬鹿さ・・・と、白馬遭難・・・

若さと馬鹿さを取り違えた「迷惑な遭難」が、この春にも続くのか・・・「世に尽きまじものは、若さを誇る高齢者」と言うべきか・・・「老人」と言うのは、「老」なる尊敬詞を付された高齢者のことなのだが、生涯現役とか、老いない人生とか・・・馬鹿もいい加減にせい!・・・と、叱りつけたくなる高齢者の蔓延。高齢者の一人として恥ずかしい。高度経済成長の恩恵に浴した己の人生を何と考えているのか・・・「能ある鷹は爪隠す」・・・静かな余生で、緊縮財政を求められる「公共費」の無駄遣いを自治体にさせるな・・・と、私は怒りを覚える。年金、医療費、あるいは介護・・・我々高齢者が、現代の若い世代の「血」をどれ程吸っている事か・・・彼等は、文字通り「血税」で、我々高齢者を遇しているのである。

これを書いている現在、まだその安否は分からない・・・家族は、心配だろう。厚労省は、遭難死すれば、「年金支払いが減る・・・」と、喜んでいるかも知れない。しかし、helicopterを飛ばしたり、救助隊員を派遣したり・・・その経費は馬鹿にはならないだろう。何よりも、そこに若い命を失うかもしれない危険が痛ましい。改めて、「助けるに価値ある命なのか・・・」。これは、遭難者自身が自らに問うべきことだが・・・若さを誇る馬鹿者には理解できないだろう。まさに、世にはびこる「毒虫」と言うべき・・・・。

私世代の登山ブームは、まだまだ、装備も貧しく・・・殆どが進駐軍の放出品・・・軽いcaravanー-Shoesが手に入る様になったのは、北九州でも、昭和30年代の半ば以降だったと記憶する。私も、底がに硬質ゴムを張った登山靴を手に入れて・・・これは、粗悪な国産品だった・・・祖母・傾、久住や九重等々を歩きまわったものだが、一年もしない中に、底の硬質ゴムが伸びてはけなくなり、「鋲」を打って、20代の青春を謳歌した。払い下げ「寝袋」は、羽毛が沢山入っていて、軽く、暖かいものだったが、それは、朝鮮戦争の戦死者を包んだものと、後日に知った。しかし、四国の「剣」を目したことはあったが、職場の緊急事態で不可能にない、何がしかの運命を感じて、爾来、九州に限って、山歩きを楽しんだ。それでも、無理な天候を押して出掛け、危険な目に遭い、思わぬ苦難を強いられて、scheduleの甘さを痛感させられた経験は幾つもある・・・「海を越えなければ、他国に行くことはない・・・」と、何度か、COURSEを外れて野宿を強いられたこともある。
現在は、装備が良い。加えて、ケイタイ等と言う文明の利器で、人里離れた危険を予感することもないのだろう・・・つまり、自然への尊厳が欠如しているのだろう。「天気」でさえ、私は、新聞の「天気図」を、出掛ける数週間以前からscrapして、当日、あるいは期間の天候を予測して、その装備と非常食の準備をしたものである。それでも、予期しない長雨に、匂いのする「はんごう飯」にビールをかけて食べる経験を何度か強いられた。

社会人になってから、趣味的に始めた「山歩き」だから、場所を、九州に限ったのだが、楽しく、安心して楽しもうと思えば、何度も同じ山に出掛けることになる。英彦山などは、一年間、毎月歩いた時期もあった。馴れない高山、若い頃の憧れの困難な山、高山・・・そんな高山、有名な山は、最後まで「憧れ」として、胸の中に大事にすべきなのだと、私は思う。その「我慢」が、今日の私を成熟させているのだと・・・確信して。

恐らく、耐えられない天候の激変でもなければ、吹雪でもないのだと、私は想像する。つまり、経験の浅さ故の恐怖で、救援を要請したのであり、己の傲慢が、救援要請のtimingを失する事態になり、あたら命を失うはめになったのであろう・・・結果的に遭難死の場合。

人間の寿命は延びた・・・それだけに、後ろの世代に迷惑を掛けて生きているのである。勿論、文明の中に果たした役割は大きい。しかし、それを誇ることは見苦しい。自分の残した、その成果を静かに見守る日々でありたい・・・その謙虚さが、老人と呼ばれるに相応しい生き方であるし、美しい生き方でもあると、私は思う。
若さ」=「馬鹿さ」・・・とならない人生。美しく閉じたい・・・。